全は善なり

ダーツェニカ全体が揺れた後、最初に異常を察知したのは、水路沿いに通行人と怪人たちだった。
地下水路への入り口から、水路の水面に波が生じていたからだ。
一瞬、波紋は揺れの余韻のようにも見えていたが、揺れが収まってもなお収まるばかりか、むしろ強まっていくばかりだった。
「なんだよ、これ…」
「さあ…?」
水路の監視をパイロから言い渡されていた、若い男女の二人が、そっと水路に近づいた。
二人の視線の先では、波が水路の壁面を叩き、水が飛沫を上げている。
まるで、水路の奥から何かが迫っているようだ。
二人がその思考に至った瞬間、真っ暗な地下水路の入り口から何かが飛び出した。
細く長い、紐のようなものだ。
女は飛び出してきた物を目で追い、男が考えるより先に後ずさった。
ほんの一瞬の判断の違いだったが、それが二人のしばしの運命を分けた。
地下から現れた紐は一気に空に向けて伸びあがると、水路の縁にたたずんでいた女めがけて、先端を振り回すようにし横薙ぎに自身を叩き付けた。
紐の半ばほどが女の身体に当たり、巻きつくようにして捕えられる。
「うわ…!?」
腹を中心に絡み付く紐に、彼女は驚きの声を上げた。
下水路の入り口から伸びる紐は、表面が凸凹としており、今しがた動物から切り出した生肉のように赤黒く、濡れていた。
「ひ、ひぃ…!」
女は、生理的な嫌悪感を催させる肉紐に声を上げると、紐に指を掛けて引きはがそうとした。
しかし肉紐の表面を覆う、水路の水とは異なるぬるりとした感触の液体に、彼女は怖気づいた。
「だ、大丈夫か!?」
「た、助けて…!」
男が声を掛けると、彼女は肉紐の表面から糸を引きながら指を離し、助けを求めた。
だが、男が駆け寄るより先に、新たな肉紐が数本、地下水路の入り口から現れた。
肉紐たちは、何の迷いもなく女の下に集まると、先達に倣って彼女の両手両足に絡み付いた。
「ひぃ!」
手足に絡み付き、衣服越しにじわじわと染み込んでくる肉紐の表面の汁と、拘束されてしまったことに女はひきつった悲鳴を上げた。
女を助けようと歩み寄っていた男は、ぼごぼごと表面を波打たせながら絡み付く触手に一瞬足を止めた。
だが、頭を振って怖気を振り払うと、腰から大ぶりのナイフを抜いて、肉紐の一本に切りかかった。
木や草、動物はもちろんのこと人も切ったことのある分厚い刃が、親指と人差し指で作った輪ほどの太さの肉紐に食い込む。しかし、食い込んだだけで切り裂くことは出来なかった。
「こ…この…!」
にちゃにちゃとべたつく粘液に構うことなく、彼は左手で肉紐を掴み、ぐいぐいとナイフを押し当て、前後に刃を揺すった。
しかし肉紐が切れる気配はなく、鋼にぬるぬると粘液が擦り込まれるばかりだった。
「くそ…!」
「は、早くして…たくさん来た…!」
悪戦苦闘する男の耳に、女の震えた声が届いた。
男が思わず顔を向けると、彼女の言葉通り、新たな肉紐が下水路から出てくるところだった。
得物を、犠牲者を探すように、細く窄まった先端を左右に揺らしながら、辺りに広がっていく。
「…応援を呼んでくる…」
男は肉紐から手を離し、濡れたナイフを腰の鞘に収めながら、女にそう告げた。
「え?待ってよ!助けて!」
「大丈夫だ、必ず助ける。だから待ってろ!」
男は後ずさりながら、安心させるように彼女に告げると、踵を返して路地の奥へ消えていった。
「あ…あ…!」
男の背中を見送った彼女の目から、つうと涙があふれた。
女は悟ったのだ、男が帰ってこないことと、自分が助からないことを。
「あ…あっ…!」
やがて、女の口から微かに色づいた声が溢れ出した。
今まで恐怖と嫌悪感だけで抑え込んでいたが、四肢に絡み付く肉紐の身体をまさぐるような動きが、彼女の情欲をわずかずつ煽っていたからだ。
腐汁を思わせる肉紐表面の粘液も、衣服に染み込み肌に擦り付けられれば、むずがゆさを伴う心地よさを生み出していた。
肉紐の表面が蠕動し、衣服越しに腕を、太ももを、腹を擦っていく。
そして締め付ける位置を変えながら、内腿に粘液を擦り付け、衣服越しに乳房の下あたりをくすぐり、首筋を先端でなぞっていく。
焦らすような動きに、彼女の体奥でゆっくり情欲の炎が燻っていく。
「あ…は、ぁ…あ…!」
彼女の口からあふれ出す吐息に甘い色が加わり、ついに太ももを濡らす粘液に、触手の表面に滲む物とは違うものが加わった。
太ももの上方、両脚の付け根から肌を伝って降りてきた、体液だった。
すると、どうやって悟ったのか、触手は彼女に巻き付きつつも窄まり尖った先端を、女の身体に近づけた。
触手の先端が、花が開くように広がり、その奥から幾本もの糸状の黄色い肉糸が伸び出した。
花を開いた触手が袖口や裾から入り込み、ついに彼女の肌を直に撫で始める。
「ひ、ひぅっ!?」
肌に触れた
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