遠くから見えていた魔王城は、久々に近づいてもやはり大きかった。
魔王城城下町の一角で、私は足を止めて魔王城を仰いだ。
見上げるほど巨大な城。難攻不落の要塞。魔王の居城。
表現の仕方はいくらでもあるが、思い出の籠る懐かしの我が家に変わりはない。
申し遅れたが、私はルーシャ。魔王の娘であるリリムの一人だ。ちなみに、姉妹が多すぎるお陰で第何女かは覚えていない。
「……」
私は、城を見上げたおかげで少し痛くなった首筋を軽く擦ると、魔王城に向けて足を進めた。
思い出はたくさんあるが、城を見上げたままでは首筋が固まってしまう。
歩きながらでも、過去を懐かしむことはできる。
私が城を離れたのは、もう十数年前のことだ。
別に両親や姉妹との仲が悪くなったからでも、若い頃にありがちな『世界を見たい』などという欲求を満たすためではない。単純に、婿探しの旅に出るためだった。
世界を巡り理想の旦那様を見つけ出し、二人で、あるいは三人で凱旋する。そんな、姉達の辿った道筋を、自身の足で歩むための旅だった。
だが、城下町を進む私の傍らに、旦那様の姿は無い。まだ理想の殿方を見つけていないからだ。
風の噂によれば、妹の中にもすでに旦那様を見つけ出した者もいるらしい。
焦りが胸の内を焦がすが、目を曇らせて拙速に旦那様を決めてしまっては、後々の不和に繋がるだろう。より良い将来のためにも、妥協などすることなく、理想の旦那様を探す必要がある。
そして今回の帰郷は、一時休息を取るためのものだ。城に帰り、ひと月ほどゆっくり過ごして、焦りに曇った目と心を清める。そうして再び、婿探しの旅に出るのだ。
慌てて婿を探す必要はない。デルエラ姉さんのように、婿探しよりお見合いに力を注ぐリリムだっているのだ。いや、デルエラ姉さんは結婚していたか?
そんなことを考えていると、ふと鼻を腹のすくような香りがくすぐった。傍らに視線を向ければ、料理屋の側を通り抜けるところだった。
(そういえば…)
香りによって掘り起こされた、郷愁を孕んだ思い出が、胸裏を通り抜ける。
(あの子、元気かしら…)
旅に出る以前の出来事が浮かび上がった。
あれは、もう二十年は前のことだったろうか。まだ幼かった私の下に、遊び相手と称して人間の男の子が連れてこられたのだ。
後で聞くところによると、当時雇ったジパング出身の料理人の子供だったらしい。
腹や腕はもちろん、首や顎の下にまで肉を付け、丸々と太った料理人と違って少年はほっそりとしており、まるで陶器の人形のように白く華奢だった。
私より少しだけ幼かった彼は、ジパングと全く違う環境とサキュバスのメイド達に早くも慣れているようで、私とすぐに打ち解け、魔王城の私の部屋や中庭、厨房の裏手などで一緒に遊んだ。
人形遊びはもちろん、『姫と勇者』のごっこ遊びに付き合わせたり、人間の街から仕入れてきたという絵本を一緒に読んだりした。
また少年も私に、私の知らないジパングの遊びや、ジパングのお話を聞かせてくれた。
特に、彼のお話は格別だった。
『五日で僕達よりも大きくなるタケっていう草があって、その中にはお姫様が住んでいるんだ』
『都を襲って財宝を盗んだアカオニを、三匹のお供を連れた勇者がやっつけたんだ』
『ジパングの海には時々、シンキロウってお城が浮かぶんだ』
彼のお話には、未だ見ぬ魔界の外が溢れており、私自身の憧れと相まってそれは素晴らしいものに感じられた。
だが、彼と過ごした時間はごく短かった。
彼の父親、つまりはジパングからの料理人は、魔王城の厨房に入る代わりに一つの条件を出していた。それは、自分の息子を最高の料理人として育て上げるため、協力することだった。
魔界に満ちる魔力に当てられ、料理人になる前に色狂いにならぬよう、料理人一家の部屋には魔力を寄せ付けぬ魔術が施され、料理人の息子自身にも魔術が掛けられた。
そして、ジパング料理に限らず多くの料理を学び、身に着けるため、料理人の息子は人間会の有名な料理店に預けられることとなった。
住み込みでの弟子入りが決まって、迎えの馬車が来た日、彼は私の部屋のベッドの下に隠れ、私は部屋に誰も入れまいと立てこもっていた。
しかし大人たちの力に敵うはずもなく、扉は易々と開かれ、彼は荷物とともに馬車へ詰め込まれた。
そして私は、文字通り心臓を裂かれそうな心地に涙を流しながら、手を振りつつ少年の乗った馬車を追いかけ、力尽き、倒れた。
それきり少年とは会っていない。
数年前、婿探しの旅の合間に、彼が弟子入りしていたオークの料理店を訪れたことがあったが、既に彼は修行を終えて魔王城へ戻ったと聞いた。その時飲んだスープは、僅かに塩味がきつかった気がした。
だが、今回の帰郷により、彼と再会できるのだ。この二十年で、彼はどう変わっているだろうか。そして、彼の
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