「まったく、なんでこんなことになっちまったんだろうね…」
安宿の一室で、ベッドの上を見ながら、ハークル・リェンはそう呟いていた。
通報によって部下を引き連れて現場に駆け付けたのはよいのだが、彼らを迎えたのが不可思議な状態の被害者だったからだ。
視線の先に被害者の姿はもうなかったが、その痕跡だけでも十分事件の異常性は見て取れた。
ベッドのシーツに滴った精液。そして穿たれた穴。
「ただの」殺しならば、彼のダーツェニカ衛兵生活二十年の中でのいくらでも見てきた。
魔物「による」事件も、殺しに比べればいくらか劣るが見てきた。
加えて、被害者が似た状態で残された事件も、今回で三度目だ。
だが、今回の事件はリェンにとってかなり珍しかった。サキュバスが被害者だなんて事件は。
視線をベッドの上から外し、辺りに目を向ければ、椅子と小さなテーブルしかないごく狭い部屋の様子が目に入った。そして、一人の男がベッドの下を見たり、床に何か落ちていないかを調べている。
軍服めいた衛兵の制服に、胸と腹の辺りを覆う革鎧をまとった、リェンの部下の一人だった。
もう一人は宿屋の人間と一緒に被害者を隣の部屋に移しており、残りは周囲に聞き込みに行かせた。
視線を窓の外に向ければ、安宿の建つ裏通りと、表通りや住宅街から放たれる明かりによって照らされる藍色の夜空が見えた。
通報が無ければ今頃、藍色の夜空の下で詰所にこもり、部下たちといつもの馬鹿話でもしながら時間をつぶしていたのだろう。
「しっかし、まあ…なーんでこんなことになっちまったのだろうかねえ…」
「それを調べるのが僕らの仕事でしょうが、リェン分隊長」
顎を撫でながら、つい最前まで『被害者がぶら下がっていた』ベッドの上の天井の穴を見上げる彼に、部下が顔を上げて言った。
「しっかしよー、これ以上何を調べるってんだ?」
窓の外から視線を部下に向けながら、リェンは肩をすくめて見せた。
「サキュバスが客取った。一発やった。なんかもめた。放り投げられて天井に頭が突き刺さった。犯人逃げた。
被害者がサキュバスに変わっただけで、あとはこないだの『娼婦放り投げ事件』二件と同じだろ?十分じゃないか」
「十分って、事件解決には全然足りませんよ」
「いんや、解決にじゃなくて迷宮入りの決定に、だ」
「碌に捜査もしてないのに、もう迷宮入りですか…」
リェンの言葉に、部下が呆れたような表情を浮かべる。
「いや、考えてみろよ?前の二件もそうだが、被害者は女やサキュバスとはいえ人ひとり分の重さがあるわけだ。
そいつを天井に放り投げて、天井板ぶち破ってぶら下げるなんてマネ、並の人間にできるか?」
「まあ、よほど体格がよくないと難しいでしょうね…」
「よほど、じゃなくてかなりだな。まあ、一発でそうとわかるような雲を突く巨漢ってのは確かだ。
だが、『娼婦放り投げ事件』の時もそうだが、大男の目撃証言はあったか?」
「ええと…」
部下が顎に手を当てて、以前の事件について思い出し、容疑者についての情報が全く得られなかったことに至った。
「今回も多分同じだろうよ。まあ、被害者本人から何か聞き出せるかもしれないけどな」
リェンは肩をすくめながら言った。
その直後、開け放たれた部屋の扉の前に、別な衛兵が立った。
「隊長!被害者が目を覚ましました!」
「もうか…さすがサキュバス、頑丈だな」
リェンはそう呟きながら、被害者が運び込まれた別の部屋へ向かって行った。
都市を三つ挙げろと聞けば、多くの人は次の三つを挙げるだろう。
大陸の中心に位置し、教団の中心地である聖都。
王国の首都である王都。
そして、大陸北部に位置する商都ダーツェニカ。
聖都に関してはその規模や歴史から、誰もが大陸第一の都市とするだろう。
王都に関しては、どの王国の王都かは意見が分かれるところだろうが、歴史や人口、美麗な建造物などで、自国の首都を第二の都市として挙げるであろう。
だが、ダーツェニカだけは誰もが何の疑いもなく、第三の都市として挙げるはずである。
大陸第三の都市の位は、その規模と『商都』の名にある。
市場とともに発達・成長を繰り返したダーツェニカは、数多くの商人を抱え込み、幾本もの街道とつながっている。商人と街道と巨大な市場は、『ダーツェニカで手に入らないものはない、金がある限り』という言葉を生み出したほどだ。
もちろん、発展を遂げたダーツェニカにも影と闇は存在していた。
その影こそが裏通りと称される貧民街であり、闇こそがあちこちで起こる事件であった。
「まったく、なにも思い出せないってどういうことだよ…」
ダーツェニカの影である裏通りから詰所に引き上げながら、リェンはぼやいた。
目を覚ました被害者のサキュバスに話を聞いたのだが、犯人に関する情報が何も得られなかったからだ。
正確に
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