重い羽音が、耳朶を打つ。
同時に、目の前の景色をほとんど覆っていた青空が、ぐるりと反転して地面に変わる。
一瞬の浮遊感の直後、僕の頬を、耳を、体をぴったりと覆う革製の装束の表面を風が撫でていく。
夏でも情け容赦なく体温を奪っていく風は、革の装束がなければあっという間に僕を凍えさせていただろう。
だが、この程度の冷えならば慣れている。
目の前にぐんぐん迫ってくる地面を見つめながら、僕は手に握った手綱に、軽く力を加えた。
手綱が、僕の力を的確に伝え、彼女の口に食い込んだ轡を動かす。
口の端に引っかかった金具の動きに、彼女は羽ばたきで応える。
ばさり、という羽ばたきと同時に彼女が姿勢を起こした。
鞍に、鐙に、尻が足が食い込み、一瞬重みを膨れあがらせながら、落下から飛翔へ移り変わる。
僕の少し先、彼女の鼻先まで迫っていた地面が眼下へ回り込み、広場と城壁が起き上がる。
横手に兵士が数名おり、正面に城壁がそびえている。このまま進めばぶつかるだろうが、問題はない。
同じように手綱を引けば、再び彼女が姿勢を起こした。城壁と地面と兵士が消え去り、代わりに再び青空が現れる。
だが、今度は遥かかなたのダッハラト山脈に下半分を切り取られた青空ではない。
正真正銘、僕と彼女の視界を埋め尽くす、無限の青空だ。青空のほかには、何も見えなかった。いや、僕の視界の下に、ほんの少しだけ彼女の赤い鱗に覆われた首と頭が移っている。
ばさり ばさり
落下の勢いを利用しての飛翔に、彼女がさらなる羽ばたきを加え、勢いを増していく。
すでに先ほど飛び降りた竜舎屋上の飛翔台を通り越し、僕たちはさらなる高みを目指していた。
このまま羽ばたき続ければ、いずれは太陽にだってたどり着ける。
そんな錯覚めいた自信すら胸中に浮かんでいたが、僕はそれを押しとどめ、訓練のため再び手綱を軽く引いた。
少しだけ腕を落として、下へ。
口中の金具に加わった力に、彼女は羽ばたきをやめ、その頭を下方へ向ける。
彼女の鱗に覆われた長い首が、僕のまたがる細い胴が、どこまでも長い彼女の尾が、向きを変え、姿勢を変えさせる。
僕の視界を埋め尽くしていた青空が消え去り、再び地面が現れる。目の前まで迫っていた地面ではない。人が豆粒よりも小さく見えるほど、遥かな高みから見下ろした、広い地面だ。
視界の中心にあるのは、僕たちがつい先ほど飛び立った竜舎。その周りをダーツェニカ南方砦が囲み、草原が、丘陵が、河川が、街道が、さらにその周りを囲んでいる。
ばさり、ばさりと彼女が数度羽ばたき、姿勢を安定させて風に乗る。
広げられた彼女の両翼が、空中で僕らを支える。
「さてと、今日もいい感じだね、シャーロット」
僕の呼び声に、彼女は低いうなり声で応えた。
「この調子で、今日の訓練も頑張ってみようか」
その声とともに、僕は第一の目的地である北の丘を目指して手綱を引いた。
彼女は返答代わりに、大きく羽を打ち鳴らし、北の丘めがけて飛翔した。
人と魔物の争いは、遥か昔から続いている。
魔王が魔物を放ち、魔物が人を襲い、人の肉を食らい魂を貪る。魔王による主神への侮辱と冒涜のためだけに、人は魔物に襲われていると神父の説教で僕は聞いた。
だが、主神もただ魔王の辱涜を受けるばかりではなく、人を守るためにいくつもの力を授けてくださった。
その一つが、勇者だ。
十数年前、大陸のどこかで生まれたという勇者は、主神の祝福を一身に受け、人間では及ばぬ力を振って各地の魔物を退け、魔王の軍を追い詰めつつあるという。
聞いた話によれば、すでに勇者とその一行は魔界に入り、魔王との直接対決に臨んでいるという。
だが、いくら勇者が魔物を倒し、退けたところで、魔物が一匹残らず消え去ったわけではない。
残党や生き残りが存在し、いまだ数多くの人を苦しめているのだ。
そういった魔物たちを相手にするのが、中央教会の聖騎士であり、王国軍である。
もちろん、王国軍の相手は魔物ばかりではない。西方の密林の異民族や、ダッハラト山脈の向こうにあるという帝国、そして未だ見ぬ魔物とは別の勢力が、王国軍の相手だ。
そして、僕が所属する竜騎兵隊は、魔物とは別の勢力との戦争に備えた部隊である。
竜というのは、いわゆるドラゴンに似て非なるものである。
幾千の星霜を重ね、人を上回る知恵と力を手に入れたドラゴンを人が扱う、というのがもともとの竜騎兵隊の目的であった。
だが、成長したドラゴンは人の言うことなど聞かず、聞いても対価として法外な金銀財宝を要求するため、ドラゴンを仲間に引き入れることは諦めた。
そして編み出されたのが、ドラゴンを卵のうちから飼いならすという方法だ。
確かにドラゴンは人を上回る力を持っている。しかしドラゴンといえども、弱い個体や若くて未熟な個体はいくらでも存在する。
そう
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