国の東の果て、大陸を中央と東部に隔てるダッハラト山脈の側に、ファレンゲーヘは存在する。
そしてファレンゲーヘから北へ、歩きで半日ほど進めばエルンデルストの村に着く。
山林の間の開けた空間にその村はあった。
村は小さく、家屋や納屋といった建物の数は三十にも満たず、人口も百に届くかどうか言ったところだろう。
川と山林に挟まれたその小さな村は、何の目的も無ければ立ち寄りすらしないに違いない。
だが、俺には重大な目的があった。
『うっわー狭い村ね・・・やっぱり帰らない、アル?』
俺の側を浮遊しながら言葉を連ねる、全身が白いこの幽霊少女のマティを見てもらうことだった。
俺がゾンビを操る死霊使いに襲われてから数日が経過していた。
本当なら、エルンデルストから来たという医者の後をすぐにでも追いたかったのだが、俺の身体は言うことを聞かず数日の療養に励むほか無かった。
そして療養中に、二つ分かったことがあった。
一つは、マティが一部の人間にも見えるようになった、ということ。
これは元々彼女が俺にしか見えないということから考えれば、大きな変化だった。
ファレンゲーヘにいる間も、マティに視線を向ける者を見かけるようになった。
おかげでイカサマ博打での路銀稼ぎが出来なくなったが、彼女本人は新鮮な気分だと喜んでいる。
そしてもう一つは、月の三賢人が本物だということだ。
ファレンゲーヘでもこれまでに聞いてきた噂はどれも聞くことが出来た。
それに加え、三賢人が現れたという数年前から、急に村が豊かになりつつあるという話まで聞いた。
なんでもこれまでは幾許かの作物と塩を、村人が町まで出てきて物々交換していく程度だったというのに、最近では作物の量が増えたどころか、上質な炭や小麦粉や陶器などを売るようになりつつあるという。
月の三賢人の噂話の真偽は量りかねるが、この事実だけでも彼らが並みの魔術師などではないことが分かる。
それだけに、マティや彼女の記憶をどうにかできるかもしれないという期待が膨らんでいく。
「しかし・・・これじゃあ村に井戸を掘ったのも分かるな・・・」
村の入り口も兼ねた橋を渡りながら、俺はその下を流れる川の水を見下ろしつつ言う。
川の水は泥と藻によって濁っており、飲むのは出来れば遠慮したかった。
『それじゃあ早速、偵察・・・』
「するな」
村に入るなり宙に浮かび、どこかに飛んで行こうとしたマティを制止する。
「今回はお前の記憶をどうにかする、というよりお前自体を見てもらうためにここに来てるんだ。当の本人がどっか行ってどうする」
『ちぇー』
つまらなさそうな様子を隠しもせず、彼女は唇を尖らせた。
俺は視線を村の中央に向けると、ざっと一瞥した。
村は教会前の広場を中心に円状に広がっており、広場の一角に雨除けの付いた立派な井戸がある。
村を行き交う人々も、来客になれているのか俺に一瞥をくれると、特に何の感慨もなさそうに視線を外していった。
「あー、すまん」
俺は井戸に歩み寄り、水を桶に汲んでいる老婆に話し掛けた。
老婆は手を休めて俺に顔を向けると、上から下まで目を走らせてから応えた。
「何か御用ですか?旅人さん」
「あぁ。月の三賢人、という人物がこの村に住んでいると聞いたんだが・・・」
「賢人さんに御用ですか」
ほうほう、といった様子で頷きながら、彼女は言った。
どうやらこの村では賢人さん、と呼ばれているらしい。
「確か・・・今日は水車小屋の調整をなさる、とか仰ってましたね」
顎に手を添え、眉間に皺を寄せながら老婆は答えてくれた。
「水車小屋か」
「ええ、橋から川の上流の方に少し行った所にあります」
「助かった。ありがとう」
俺の礼に彼女は微笑みながら一礼すると、再び水汲みを再開した。
俺は踵を返し、村の入り口である橋の方へ向かっていった。
『さっきのお婆さん、私のこと見えてなかったみたいね』
井戸の方に顔を向けながら、マティが話し掛けた。
「あぁ、多分この村には見える人があまりいないんじゃないかな」
村人の、見知らぬ人を見るかすかな視線を受けながら、俺は声を低くして応える。
マティの姿が見えていたなら見えていたで大変だが、見えていないのなら彼女がいないように振舞わねば病気とみなされてしまうからだ。
物心付いてから次第に身につけた技術と、もうすぐお別れかと思うと感無量だ。
やがて俺たちは先程渡った橋に戻り、老婆の言葉通り川の上流目指して歩いていった。
「あれだな」
湾曲した川の流れの向こうに、立派な水車を備えた小屋が見えた。
と、同時に俺の耳を幾つもの声が打った。
「わぁぁぁ!」
「はっはっはっ、早く逃げんと巻き込むぞ〜」
「わーわー!」
「七年で二倍だぞぉ!十四年で四倍だ!」
「あはははは!」
「ははは!真正面に来てみろ!目が回るぞ」
子供の
[3]
次へ
ページ移動[1
2 3 4 5]
[7]
TOP[0]
投票 [*]
感想