(130)ワイト

 曇天の下、鬱蒼と生い茂る森の外れに、周囲を塀で囲まれた屋敷があった。塀にはツタがへばりつき、壁面が見えぬほど葉を茂らせている。
 塀の内側に目を向ければ、芝生と呼ぶには延び放題になった草が庭を覆い尽くしていた。下手すれば子供の背丈ほどはあろうかという草むらの中に、門扉から続く細い道があり、その先に屋敷がうずくまっていた。
 古い屋敷だった。雨粒に含まれる微かな埃が壁に染み入っては流されを繰り返し、濃淡が複雑な模様を描いている。屋根に目を向けてみれば、ところどころ瓦がぬけ落ち、いったい何に根を張ったのか草が芽吹いていた。
 あばらや、廃屋、ぼろ屋敷。表現は様々だったが、詰まるところそのような屋敷だった。
 もはや住む者のいない、あとは朽ちるに任せるだけの建物。だが、敷地にはいくつもの人の気配があった。
 庭の片隅、草が払われた一角に、十に満たないほどの人が立っていた。皆、黒い衣服に袖を通しており、地面に据え置かれたいくつかの石の内、真新しい一つに向かっていた。
 そして人々の中にいた壮年の男が、真新しい石と一度掘り起こされて埋め戻された土を前に、手にした小さな本を読んでいた。
「主神よ、どうかあなたの下へと旅だった魂をお見守りください。あなたを目指しつつも迷えるときはお導きください。苦難に面したときは手をさしのべてください。あなたの下へたどり着くよう…」
「生まれつき病気がちだったのに、よくここまで持ったわね」
 壮年の男が朗々と唱える言葉の陰で、黒衣の女の一人が傍らに立つ別の女に向け、ひそひそとささやいた。
「旦那さんは?」
「相続した財産で、王都の方に屋敷を買ったそうよ」
「奥さんの葬式なのに…」
「まあ、結婚して三月も経ってないから、そういうことなのよ」
「でもよくあからさまな男と結婚したわね」
「病毒が頭に回ってたんじゃないの?」
 低く小さく、しかし確かに笑い声が辺りに響いた。壮年の男が紡ぐ言葉に比べれば圧倒的に小さな囁きに過ぎなかったが、その場にいるほぼ全員の耳に届いた。そして、並ぶ人々の中で一際若い、いや幼いと言うべき少年が、とりあえず色が黒いだけの粗末な衣服の袖口を握りしめていた。生地と指が擦れ、本人にも届かないような小さな音を立てる。しかし、彼が袖口を握りしめる力は、確かに彼の手のひらに爪痕という証を残していた。
「主神よ、この者を今日の日までお見守りくださったことを感謝いたします。そして、あなたの下へと無事至ることを願います」
 壮年の男は本を閉じると、目を伏せて聖印を結び、祈りを締めくくった。遅れて並ぶ人々も、聖印を結び、祈りを捧げた。
「……さあ、皆様お疲れさまでした。故人のお見送り、ありがとうございました」
 壮年の男はくるりと振り返ると、参列者に向けて礼の言葉を述べた。
「秋も深まり、肌寒くなって参りました。故人に祈りを捧げたり、故人との思い出を語り合ったりするのも結構ですが、くれぐれも風邪を引かれないよう気をつけてください。それでは、解散といたします」
 壮年の男の言葉に、黒衣の人々は口々に何かをしゃべりながら、早々に墓の前を離れていった。草を切り開いて作ったわずかな道を抜け、敷地の外に止めてある馬車へと向かうと、皆乗り込んでいった。
 そして後には壮年の男と、少年だけが残った。
「…大丈夫かい?」
 壮年の男は、未だ墓石を、まだ柔らかな土を見つめる少年に声をかけた。
「……」
 少年は無言で頷いて見せた。
「どこか、行く宛はあるのかな?」
 壮年の男は、この屋敷で住み込みで働いていた少年のことが、少し気がかりだった。身寄りがあるのかないのか。次の勤め先が決まっているのか、いないのか。身内もおらず、奉公先も決まっていないのなら、しばらく自分のところで預かってやろう。壮年の男はそう考えていた。
「…大丈夫です」
 少年は、かすれた声で言葉を紡いだ。
「少し、お屋敷を片づけてから、旦那様のところに行きます」
「そうか…」
 壮年の男は少し複雑だった。少年に行く宛があるというのはよかった。だが、その行き先というのがあの男のところというのが、少し気がかりだった。三ヶ月前に突然現れ、土の下で眠る彼女と結婚し、とうとう妻の葬式にさえ姿を現さなかった男。そんな男の下で、少年がまともに育ててもらえるだろうか。
「神父様、今日はありがとうございました」
 少年は壮年の男に向き直ると、頭を下げた。
「そろそろ暗くなります。神父様も風邪を引かないよう、気をつけてかえってください」
「ああ、ありがとう」
 少年の気遣いに礼を返しながらも、彼は少年の言葉にこの場を離れてほしいという意図を感じた。無理もない、家族のようであった彼女を失ってしまったのだ。
 ここは一人にしてやった方がいいだろう。
「君も、あまり寒くないように、
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