chapter 9

 ふと自分がなにも考えていないことに気がつき、遅れて五感がゆっくりと蘇っていく。自身が眠っていたことに気がついたのは、柔らかなベッドの感触や、天井の木目がおぼろげに感じ取れるようになってからだった。
 前はどこで目覚めたのだろう。少しだけ考え、ふと思い出した。燃え上がる飛行船の傍らで目覚めた時が、ちょうどこんな様子だった。
「う…」
 うめきながら手足に力を込めると、少しだけ動いた。姿勢のためか、まだ寝ぼけているためか、思うように力が入らない。それでも指を曲げ、伸ばしする内に、おぼろげだった指先の感触がはっきりしてきた。
「うぅぅ…はぁ…」
 ジェインはベッドの上に身を起こし、軽く伸びをして声を漏らした。そしてそこで彼女は、自身がなぜここにいるのか、と自問した。とりあえず、最初に脳裏に浮かび上がった燃え上がる飛行船を足がかりに、彼女は思いだしていった。
 飛行船、任務、ジル、逃走、セントラ研究島。そこまで思い出したところで、彼女は一人の少年の顔を思い出した。
 イヴァンだ。セントラ研究島の一角に囚われていた、気象を操る少年。ジェインは彼とともに外に出ることを約束したのだ。
「…っ!イヴァン!?」
 ジェインははたと少年がいないことに気がつき、彼の名を呼びながら辺りを見回した。しかし目にはいるのは、ベッドの他は何も置かれていない殺風景な部屋の景色ばかりだ。
 イヴァンはどこに?
「イヴァンは…ええと、確か…」
 ジェインは目蓋をおろし、再び記憶を探り始めた。イヴァンと出会い、外に出る約束をした後、風の防壁を突破するためいくつかの方法を探り、ついにギゼティアの飛行機械に至ったのだった。
 だが、そこから先がどうも曖昧だった。何かあったような気もするが、いまいちはっきりと思い出せないのだ。
 だが、そこで何かがあったのは確実で、その結果ジェインはこの部屋で目を覚ましたのだ。
「確か前にもこんな…え?」
 ジェインは訳の分からない状況で目を覚ましたときのことを思い出そうとして、気がついた。思い出せないのだ。明確な景色はおろか、おぼろげな印象さえも脳裏に浮かんでこない。
 思い出せるのは、この浮遊都市の一角で目を覚ました以降のことばかりだ。まるでジェインに、それ以前の過去がないかのように。
「そんな…」
 ジェインは再び、脳裏でナムーフに来てからのことを思い出した。
 燃え盛る飛行船の側で目をさました後、仕事のためにとりあえず人に紛れようとした。だが、そのとき何を思い出して、自分が仕事を抱えていることに気がついたのか、ジェインにはわからなかった。
 ナムーフ十周年の祭りの会場に紛れ、耳と目に意識を集中させ情報の断片をかき集めた。だがその技術はどこで身につけたのか、ジェインには思い出せなかった。
 イヴァンを塔から連れ出し、飛行船を一隻乗っ取った後、少年の漏らした一言にジェインは過剰に反応した。名前を思い出すだけで吐き気を催させた街で何が起こったのか、ジェインには思い出せない。だが、レスカティエという地名だけは、残っていた。
「あ…?」
 ジェインはそこで気がついた。名前を思い出すだけで胸の奥が蠢くような感覚に襲われていたのに、ジェインは何の抵抗もなく脳裏に文字列を浮かべることができたからだ。
「レスカティエ…」
 何も起こらない。吐き気はおろか、何の感慨も浮かばない。
「レスカティエ…」
 思い出せるのは、イヴァンが無邪気な様子で口にしたあの一瞬と、話題に直接出さないよう言葉を選んでいたときのことだけだ。
 気を失わせ、悪夢さえみさせたはずの街の名は、ジェインに何ももたらさなかった。
「な、何で…」
 自身はレスカティエと何か関係があるはず。イヴァンとたどり着いた結論を否定しかねない、自身の内側の変化に彼女は動揺した。
 心理の変質に、思い出せていたはずの過去の欠如。それらはジェインに、まるで飛行船の傍らで目をさました瞬間から、彼女の人生が始まったかのような印象をもたらしていた。
 いや、事実そうだ。自分は作られたのだ。
「え…?」
 ジェインはふとした思いつきに、妙に自信を抱いていることに気がついた。
 思い出せないだけで、ジェインは知っているのだ。
「あ…いやだ…いやだ…」
 ジェインは頭に手をやり、そうつぶやきながらゆっくりと動き始めた思考を止めようとした。だが、彼女の言葉や動作と裏腹に、ジェインの意識は自動的に思考を紡いでいく。
 自分の過去が継ぎ接ぎだったのはなぜか?バラバラな記憶の方が、過去を組み立てて一人納得して都合がいいからだ。
 自分がレスカティエという言葉に過剰反応していたのはなぜか?一つぐらいなぞめいた反応を残しておけば、そこに意識が向かって多少の記憶の食い違いに気がつかなくなるからだ。
 ならば自分の髪が、リリム
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