chapter 5

 通路を二つの人影が駆けていた。ジェインとイヴァンの二人だ。ジェインの左腕は、床を踏みしめる右足と同様に、人のものになっていた。だが、ジェインは自身の腕に注意を向けている様子はなかった。時間がない、かもしれないからだ。
「あとどのくらいだ…?」
 ジェインは乱れる呼吸の合間で、そう自問した。
 既にロプフェル達が艦橋を離れて数分が経過している。ロプフェルの言動からすると、この飛行船が浮遊都市を包み込む風の防壁に激突するのは必定だ。だが、問題はそれまでに後どの程度の余裕があるか立った。
 ロプフェルと警備隊員達の足取りからすると、そこまでせっぱ詰まったものではないのかもしれない。だが、悠長に船内探索ができるほどの時間はないはずだ。
「ジェインさん!」
「どうした!?」
 イヴァンの呼びかけに彼女が振り返ると、彼は足を止めて通路の窓を指していた。
「あれ!」
「何だ?」
 ジェインが彼の指さす方をみてみると、そこには一隻の小さな飛行船が浮いていた。十人乗りほどの大きさのボートを、大きな皮袋が吊している、簡単な構造の飛行船だ。だが、ジェインの目は飛行船の大きさなどではなく、船体に乗っている八人の顔に釘付けになった。
「ロプフェル…!」
 艦橋にいた七人の警備隊員と、この飛行船の持ち主であったナムーフの主。その八人が小さな飛行船に乗っていた。どうやら非常用の脱出飛行船を使ったらしい。
 小型飛行船は軽く旋回すると、ジェイン達の取り残された飛行船とは反対の方向へと飛んでいった。
「ジェインさん!上に出れば他の飛行船が」
「だめだ。あいつのことだ。きっと予備の飛行船も放り捨ててるか、使えないようにいているだろう」
 ロプフェルはジェインとイヴァンをこの船ごと葬り去るつもりだ。脱出手段を残していることなどないだろう。
「行くぞ!」
 ジェインは窓から視線を引きはがし、通路を進みながら考えた。
 いすと傘を使って、即席のチェアを作るか?本来のチェアがどうやって風を起こしていたか不明だし、イヴァンにとばさせようにも、近くの浮島まで力が持つとは思えない。
 艦橋に戻って、進路を変えるか?ジェインがその考えに至ったところで、船体が軽く揺れた。どうやら、舵を破壊されたのだろう。破壊されていない可能性に賭けるのは危険だ。
「どうする、どうする…?」
 ジェインは呟きながらすすんでいると、通路の真ん中にまき散らされた妙に粘つく液体に気がついた。自身の吐寫物だ。少し前、警備隊員を一人閉じこめた後、イヴァンの発した何気ない一言が原因で戻してしまったのだ。その結果捕らわれてしまったが、何も知らずに風の防壁につっこんでいたことを考えると、むしろよかったのかもしれない。
 そこまで思い返したところで、彼女は胸に何かが引っかかることに気がついた。
「…イヴァン、さっきの飛行船、何人乗ってた?」
「え?えーと、全部で八人…」
 そうだ。ジェインと艦橋で顔を合わせた七人の警備隊員に、ロプフェルの合計八人だ。七人の警備隊員の中に、ジェインが叩きのめし、倉庫に閉じこめた一人の顔はなかった。
「イヴァン!こっちだ!」
 ジェインは自身のひらめきを信じ、通路を駆けた。程なくして彼女は船室の扉の前に立った。扉の取っ手に手を掛けるが、妙に空回りするばかりで扉が開く気配はない。内側からあけられないよう、室内側のドアノブを毟ったせいだろう。
「ジェインさん、急に走って…」
「イヴァン、少し離れてろ!」
 ジェインは左腕を掲げると、背後のイヴァンに一言告げた。直後、ジェインの左手もぞりと蠢き、皮膚を突き破って鱗が顔を出した。めきめきみしみしと、赤黒い鱗が爪か何かのように音を立てて伸びていく。その間にも、ジェインの腕全体の骨格が変形し、指先の爪は鋭く湾曲したものとなっていた。
「るぁああああっ!」
 左腕の変形が止まったところで、ジェインは振り上げていたそれをドアに向けて叩きつけた。それなりに丈夫なはずの木材が、破片をまき散らしながら引き裂かれ、室内の様子を垣間見せる。
「この…!」
 ジェインはさらに数度左腕を叩きつけ、扉を破壊すると、最後に思い切り蹴って破った。開け放たれた室内に足を踏み入れるなり、彼女はまっすぐに部屋の隅に横たわる男のそばに近づいた。
「おい、起きろ!」
 『ドラゴン』のジルによって手に入れた強靱な左腕で男の胸ぐらをつかむと、彼女は無理矢理起き上がらせながら声を掛けた。
「ロプフェルは他の連中と一緒に脱出した!舵がぶっ壊されてるから、この船はナムーフの防壁にぶつかる!だが、脱出方法が何かあるだろう!?」
「ま、まへ…まって…!」
 ジェインの揺さぶりと詰問に、男は若干回らない舌で答えた。
「待て?こっちはせっぱ詰まってるんだ。非常用の飛行船の他に、何十人もいるお前たち
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