chapter 3

 『ジル基礎展示室』は、そこそこ広かった。飛んだり跳ねたり、ちょっとした体操をするには十分すぎる広さだった。扉の向かい、部屋の奥の壁には小さな窓が設けてあった。よく見るとガラスを支えるための枠が金属製であったが、緩やかな曲線の装飾を施されているため、閉塞感はいくらか和らげられていた。
 部屋の中央にはテーブルが置かれ、本や木枠のケースに収められたジルのボトルが並べられている。部屋の壁には、ジルの効能や由来について解説しているのであろう、絵図入りのパネルがつり下げられていた。
「さーて…どれからいこうか…」
 ジェインは入り口からテーブルに向かうと、一番近くにあった木枠のケースに手を伸ばした。ケースは当たり前のように鍵がかけてあり、中に納められたジルのボトルを守っていた。
「蝶番は…お、はずせるな」
 ケースの後部をのぞくと、蝶番が二つネジを晒したまま並んでいた。ジェインは上着のポケットからナイフを取り出すと、刃先をネジ山に食い込ませて、くるくると回した。程なくして一本、また一本とネジが抜け落ち、ついに蝶番がはずれる。
「よ…」
 ジェインは木枠ケースのふたをつかむと、軽くひねりながら外した。そして傍らにケースのふたを置くと、彼女は中のボトルをつかむ。
「…ん?」
 ボトルを持ち上げた彼女を襲ったのは、妙な軽さだった。翼を広げる、どこか鋭角的なデザインのハーピーが装飾として施されたボトルを軽く振るが、何の手応えもなかった。
 空だ。
「空き瓶を並べてるのか…」
 ジェインはほかのケースに目を向け、色の濃いガラスを透かして内容物の影が見えないことを確かめると、少しだけ落胆したようにつぶやいた。
 どうやらここは、来客にジルが何かを説明するための部屋のようだ。
『ジルはトッド・ロック医学博士とレベッカ・リィド優生学博士の共同研究によって作り出されました』
 壁のパネルの文字と、小さな絵を見ながら彼女はそう判断した。
 いくべき場所はジルの保管倉庫だ。だが、ジェインにそのような部屋があるのかどうか、判断が付かなかった。
「とりあえず、ざっと見てみるか…」
 ジェインは壁際に歩み寄ると、並べて吊されたパネルを一枚一枚流し読みしながら、部屋を一周した。
『ジル!偉大なる生命がもたらした奇跡の一滴!』
『ジルによってナムーフの生活は一変!』
『生物の特徴を抽出!』
『優れた特質をジルで修得!』
 宣伝文句のような言葉が並ぶパネルをざっと見て、ジェインはジルについておおむね理解できたような気がした。ジルとは、生物から抽出した液体のことであり、そこに含まれる成分を接種することで、ほかの生物の特徴を取り込むことができるという。しかし、具体的にどうやってジルを抽出するのか、ジルがどのように肉体に作用するのかについてはさっぱりだった。
「でも、こっちの空き瓶は…まあ、収穫があったと見ていいかな」
 ジルのボトルは空であったが、効能の記された解説文がケースに貼られている。
『ハーピィ:あなたに翼をもたらし、風に乗って空を飛べます』
『リザードマン:堅い鱗で身を守りましょう』
『スキュラ:少し離れたあそこに、見えざるあなたの手が届きます』
 ジェインはボトルの形と共に、解説文の内容を頭に入れた。
 いずれこれらのジルが手の届きそうな距離に現れたとき、効能を覚えておけばためらいなく使える。
 ジェインは一通り飽きボトルを見て回ると、顔を上げて部屋をざっと見回した。ジルの空きボトルと、壁のパネル。展示室にふさわしく、それだけだった。やはりジルを手に入れるには、ちゃんとした研究室か、保管庫を目指さないといけないのだろう。
「『浮かべ』とか『もう少し下』とかで動かねえかなあ」
 行き先を告げるだけで移動してくれるチェア。自動的に高度を変えてくれる驚異の移動装置に対し、ジェインは若干の不満を抱いていた。チェアは便利だが、自由に移動できないのがつらい。すでに修得した『クラーケン』のジルを使って、内壁を移動した方がいいかもしれない。骨は折れるが、塔内部に他に移動するチェアの姿はほとんどなかったため、人目には付かないだろう。
「…ん?」
 そこまで考えたところで、ジェインはようやく違和感に思い至った。人が少なすぎるのだ。これだけの規模の研究施設ならば、相当の人数がいるはず。だというのに、ジェインが目にしたのは外の遊歩道にいた白衣の男女だけだ。あの二人の他には、人影はおろか人の気配すら感じられなかった。
 楽観的に考えれば、研究者たちは自信の研究に忙しく、それぞれの部屋に籠もりきりなのだろう。だが、実は姿を隠してジェインを監視しているとすれば、状況はかなり苦しい。
「…定期飛行船ターミナルに戻るか…?」
 ここまで何の接触もないということは、研究者たちはジェインがさらなる
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