音楽に導かれて足を進めると、ジェインはいつしか浮島の縁にたどり着いていた。島の縁には腰ほどの高さの欄干がぐるりと備え付けてあり、通行人の落下を防ぐようになっている。そして欄干の一角の切れ目から、通りと同じ幅の橋が隣の島へと続いていた。音楽は、隣の浮島から響いているようだった。
ジェインは浮島の縁でしばし立ち止まってから、橋へと足を踏み出した。橋の欄干の向こうに見えるのは何処までも続くような青空と、何処までも広がる青い海、そして二つの青が描き出す水平線だけだった。どうやらこの浮遊都市ナムーフは、海の遙か上空を漂っているらしい。
下が水とは言え、落下するのはごめんだ。
ジェインは石畳で舗装された橋一つ下の遙かな青が、橋や靴を通り抜けて足裏から体内に染み込んでいくような感覚を覚えながら、足早に音楽の響く浮島に移った。
「よし、と…」
空に浮かぶという点では橋と同じだが、土台の厚み分安心感のある浮島に立つと、彼女は今きた道を振り返った。建物の合間から立ち上る煙は薄くなっており、煙と青空を背に『14番街改装間近!』という横断幕が島の土台に張られているのが見えた。道理で人がいないわけだ。
「さて…」
ジェインは無人の浮島から、顔を島の奥へと続く通りに向けた。町並みは、先ほどの無人の浮島と変わらぬようだったが、人の気配があった。建物の窓や商店の扉が開かれており、窓辺におかれた鉢植えに水をやる女や、店先を掃除する男の姿が見える。しかし彼女は軽率に人々に近づく真似はせず、視線だけを左右に向けながら足を進めていった。
「そこのお嬢さん!感謝祭特別価格だよ!」
店の前を通るジェインに向け、雑貨屋の店員が声をかける。彼女は顔を向けてみるが、並べられているのは箒にバケツにと日用品レベルの雑貨ばかりだった。少なくとも、今のジェインに必要な品物ではない。
「ほらほら、ランプの芯はちびてないかな?今なら玉磨きもつけるよ!」
立ち去ろうとするジェインを引き留めようと、男はランプの替え芯と手入れ道具を両手に声を上げる。だが、ジェインはそもそもランプ自体を持っていないのだ。
「悪いね」
そういい残して、彼女は立ち去ろうとした。
「ああ、ちょっと待って、ちょっと待って!」
男はそう、視線を前に向けようとしているジェインにすがるように言うと、手にしていた替え芯の束と手入れ道具を同時に宙に放り投げた。
「ほらほら、今なら上質のランプオイルも二つで一つ分の値段にしておくから!」
彼は薄く色付いた液体の入った小瓶を手に、そうジェインに言った。彼の行動に、ジェインは足を止めていた。割引価格ではない。彼が放り投げた商品二つが、落下することなく浮いていることに気がついたからだ。
「ほら、替え芯と上質オイル!この二つで玉磨きと上質オイルがもう一つ…」
彼女の耳に、店員の声は届いていなかった。ふわふわと、まるで水面に浮いているかのように漂う二つの商品が、彼女の意識を捕らえて離さないのだ。
魔術か?それとも手品か?
彼女の脳裏で疑問符が舞う。
「ん?おっとお嬢さん、どうかご安心を!」
店員の男は、ジェインの視線に気がついたのか口上を断ち切ると、ふわふわと浮かぶ芯の束と小瓶を示しながら続けた。
「こいつはセントラ印の『クラーケン』のジルだよ!それに『治癒』ジルも飲んでるから、安全だ。ほら!あそこに空き瓶がおいてあるだろ?」
店員の男は店の奥の棚を指さす。するとそこには、彼の言うとおり二つの瓶が並んでいるのが見えた。丸みを帯びた体に、長い首を備えたガラス瓶。距離と店の奥の暗がりのため、よくラベルは読めないが、それでも『クラーケン』と『治癒』という字は読めた。
「ジル…?」
「ああ、本家本元、本物のジルだからご安心を!それで今なら…」
「ああ、ありがとう。また今度に」
ジェインは話を切り上げると、踵を返して足早に店の前を離れた。
「……」
足を進めながら、彼女は通りに並ぶ建物に目を向けた。先ほどの雑貨屋店員の手品に対し、反応している者は誰もいなかった。
浮かぶ商品。クラーケン。ジル。
どうやらその三つは何らかのつながりがあり、ここナムーフではごくありふれたものらしい。一体先ほどの現象がなんなのか。それを理解しないと、聞き込みどころではない。
ジェインは足を進めながら、雑貨屋店員が見せたものと同じ手品を誰か使っていないか探していた。だが人々は、この街が空の上にあることを忘れさせるほどに、ごく当たり前の行動をしているばかりだった。
その辺の通行人を捕まえ、路地の暗がりに連れ込んで締め上げれば、多少は何か聞き出せるかもしれない。
ジェインの胸中で、治安維持組織に追い回されるリスクより、情報を得ることへのメリットが大きくなってきたところで、彼女は浮島の中
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