(115)ダンピール

(1)彼女のいない朝
ヴァニが丘の上の屋敷に戻ってから、数ヶ月が経った。
姉のペテラに、召使いのクリスと一つ屋根の下過ごしている。
あちこちを旅していたヴァニの体は、屋敷での日々に染まっていた。
朝早くに目を覚まし、鍛錬をかねて屋敷の外に出、汗を流してクリスの用意した朝食にありつく。
いつものように軽く汗の浮かんだ肌を拭い、着替えて厨房に入る。
「おはようございます、ヴァニ様」
壁際の調理台に向かっていた男、クリスが、ヴァニが声をかける前に振り返った。
「おはよう、クリス。今日のメニューは?」
「パンとサラダにスクランブルエッグ、ポタージュスープ。スープはお代わりがあります」
クリスは調理台の上の皿を手に取ると、厨房入り口近くのテーブルに運び、一つずつ並べていった。
「うん、言い香りだね」
湯気を立てるスープや炒り卵、軽く熱を通されて表面をぱりっとさせた丸パンに、ヴァニは表情をほころばせた。
「では、ご主人を起こして参ります。ごゆっくりどうぞ」
「ああ、うん」
クリスの一礼を適当に見送り、ヴァニは朝食に注意を向けた。
姉のペテラはヴァンパイアのため朝が弱く、こうして毎朝クリスが起こしに行っているのだ。
そして毎朝ぎゃあぎゃあわめきながら、クリスの手を借りてコルセットを腹に巻き付け、ようやく下に降りてくる。
もはやペテラの朝の一悶着は習慣を通り越し、東から日が昇るほど当たり前のことになっていた。
「いただきます」
ダンピールの鋭敏な聴覚から意識的に注意を逸らして、彼女はフォークを手に取る。
やがて、並ぶメニューを数口ずつ口にしたところで、厨房に足音が一つ入ってきた。
「ん・・・?あれ、姉さんは?」
いつもならば彼と一緒に降りてくるはずの姉の姿がないことに、ヴァニは思わず問いかけていた。
「それが、どうも体の調子がよろしくないようで・・・」
「珍しいな」
魔物、それもヴァンパイアが体調不良など、初めて聞いた気がする。
まあ、ペテラの場合美容体操をやって、翌日筋肉痛におそわれたこともあるので、ヴァニはそう驚かなかった。
「朝食はどうするの?」
「今から粥を用意して、三十分後に様子を見るついでに運ぶつもりです」
「医者は・・・」
「先ほど見た様子では、多少の熱とだるさぐらいでした。粥を運ぶ際にもう一度確認して、医者を呼ぶかどうか決めようと思います」
「うん、それがいい」
どうせただの風邪だろう。
ヴァニはクリス伝いに聞いたペテラの症状に、そう判断を下した。
「・・・そういえば、クリス」
「はい?」
用意してあったペテラの分の朝食を、テーブルから調理台の方へ運ぶクリスに、ヴァニはふと声をかけた。
「こうやって二人きりになるのって、珍しいね」
「言われてみれば、そうですね」
クリスが屋敷の用事を片づけているため、こうしてペテラのいない状況でヴァニと二人きりになるのは、初めてのような気がする。
「せっかくの機会だから、少し話をしないかい?」
「すみませんが、いろいろと用事があるので・・・」
「粥を作って、姉さんのところに運ぶぐらいだろ?粥を作っている間に、私とすこしおしゃべりするぐらい、いいじゃないか」
「・・・かしこまりました。ただし、粥の準備ができたら、それまでです」
「いいよ」
クリスは鍋に水を注ぎ、魔力で熱を生じさせる調理器具の上に置いた。
「さて・・・それじゃあ早速だけど、姉さんのことどう思ってる?」
「ずいぶんと単刀直入ですね」
特に声に動揺の色もにじませず、彼はそうヴァニに返した。
「ほら、見てるといつも姉さんの貴族らしからぬ部分を直してあげようとしてるみたいだけど、正直なところ手間ばっかりかかってるんじゃない?」
「確かに、いいえと言えば嘘になりますね」
彼は棚に向かうと、下段から袋を一つ取り出した。袋の表面には「押し麦」と書いてあった。
「ですが、それでもご主人は少しずつよくなっていると思いますよ」
「へえ、未だに朝に一人で起きられないのに?」
「ははは、これは手厳しい」
袋の口を開き、計量カップで掬いとりながら、彼は声だけで笑った。
「正直なところ、姉さんを矯正して立派な貴族にしようとしてるの、イヤになってるんじゃないの?」
「なぜそう思うのですか?」
「クリスは言葉遣いこそ丁寧だけど、実際のところ姉さんに対してあまり敬意を払ってないでしょ?普段の行動を見ればわかるよ」
そう、事あるごとにコルセットのことを持ち出したり、腹をつついたりと、どこか姉を茶化しているような態度が見受けられた。
ペテラによれば、どれもクリスが姉を思うが故の行動だと言うが、ヴァニにはそう思えなかった。
「確かに、無礼な態度が見受けられる振る舞いは、多々してきましたね」
「否定しないんだ」
多少の言い訳ぐらいはするだろうという予想を裏切られ、ヴァニは
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