(110)刑部狸(ギョウブダヌキ)

広い板張りの一室で、会議が開かれていた。
外国から取り寄せたと思しき巨大な楕円形の卓は、つやつやと磨き上げられており、出席者の表情を鏡のように映していた。
「このように先日の霜で小豆の価格高騰は確実で・・・」
卓を囲む若い刑部狸の一体が、額に汗を浮かべながら言葉を連ねる。
この一室が暑いわけではない。むしろ、気温としては過ごしやすい方だ。
だというのに、発言している狸は額に汗を浮かべ、体を小さく震わせていた。
それもそのはず。卓の上座に腰を下ろす、刑部狸の鋭い視線に、射抜かれているからだ。
上座に腰を下ろす彼女こそ、若い刑部狸を一とする卓に並ぶ面々、商人連合の長だった。
若い頃から商売をしており、時には犯罪すれすれのこともやって財を成したという噂もある。
「一方、米についても今年は冷夏が見込まれるため、古米も含めて値上がりは確実で・・・」
「・・・・・・」
上座の刑部狸の視線に耐えながら、彼女は続けた。もう少し、もう少しで終わる。
「ですので、今年は農業分野への出資を控え、守りに徹した方がよいのではないかと考えます」
「ふむ・・・」
若い刑部狸は、上座の刑部狸の漏らした吐息に、少しだけ安堵を覚えた。
だが、油断し隙を晒した彼女の意識に、とがった言葉が突き刺さる。
「守りに入るのは良しとして、それでどうやって敵を蹴落とす?」
「・・・そ、それは・・・」
彼女は必死に答えを紡ごうとするが、口が開閉するばかりで何も出ない。
「不作で値上がりするときこそ、攻め時だ。今の内に田畑を買いあさり、農家と作物の売買契約を結ぶのだ」
「し、しかしそれでは・・・」
「なに、正々堂々と動き回っていれば、田畑の値段上昇にほかの連中も気が付くだろう。そして連中も、田畑を買いあさり始めるはずだ。。そこで地価が高騰したところで、連中に手持ちの田畑を売ってやるのだ。後に残るのは高騰した田畑と、冷夏による不作だけだ」
「そんな・・・」
そんなこと、思いつかなかった。若い刑部狸の口から、本心がこぼれそうになる。
「こちらは土地を買って、売っただけだ。何か悪いことでもしたか?」
「い、いいえ・・・」
若い刑部狸は、長の言葉に首を振った。
「だが、この方法は二十年前に一度やったから、今度は誰も食いつかないだろう。そこで、今年の農業分野でのたち振る舞いについては、引き続きお前の宿題とする」
「はい!?」
若い刑部狸が思わず声を上げた。なぜなら、先ほどの発言が考えた結果だったからだ。
「なに、さっきの私の例で、思考の幅が広がっただろう。柔軟な発想をし、それを明日口にするだけでいいんだ」
「は、はぁ・・・」
「若者の発想、期待しているよ」
若い刑部狸は、一度は下りたはずの重荷を肩に感じていた。
その後も、商人連合の会議は続いた。
漁業、木材、金属、宝石、嗜好品など分野は多岐に及び、出席する商人がその一つずつについて報告し、方針を述べるというものだった。
長の刑部狸はその一つ一つに対し、ある時はほめ、ある時は未熟な点を指摘し、ある時は容赦なく批判した。
曰く「新型の漁船購入と、港に隣接する干物工場の設立はいい。ただ、近隣の漁場は一年通して収穫できるのか?」
曰く「こっちの茶葉と向こうのたばこの交易は良好だな。それに紙巻きタバコはキセルより葉を使うが、手軽だから広く広まるだろう」
曰く「何?孔雀石の市場が荒らされている?安値で喧嘩をふっかけるからには、鉱山か研磨で相当の無理をしているはずだ。こちらの息のかかった者を鉱山に送り、ストを起こさせろ」
長の言葉に、商人たちは自身の方針の正しさを確認し、見直し、あるいは最初から考え直した。
そして、全員の発言が終了したところで、長が卓に並ぶ面々をぐるりと見回した。
「さて・・・もうこの連合を作ってそこそこになるが・・・未だ私を打ち負かして、長になろうという者が現れない」
彼女の言葉に、数人が顔を強ばらせる。
「何、最近の若いのには気合いが足りない、などと言うつもりはない。単に、少々不気味だと感じただけだ」
口調こそ穏やかなものの、視線の鋭さを増しながら、彼女は表情の変わった数人を順々に見た。
「それで、少々調べてみたところ・・・どうも最近、何か大きな出費をした者がいるらしいな。投資か博打かとおもったが、使い道がよく分からない。金が空中に消えているのだ。不思議だと思わないか?」
長はそう全員に向けて問いかけるが、返答する者はいなかった。
「まあ、不幸な事故で金が失われたのかもしれないな。それに聞くところによると、不慮の事故で当主を交代せざるを得ない商家もあるらしいな。仮に我々の連合で不幸な事故が起これば、誰が私の代わりを勤めるのだろうな・・・なあ、山上の」
「はぃっ!」
不意に名を呼ばれ、卓に付いていた男の商人が、裏返った声を上げた。

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