(109)狐憑き(キツネツキ)

街の一角に、稲荷神社があった。
やや広い境内を、一人の巫女が掃除していた。背の高い、やや面長の若い巫女だ。
いわゆる無人のお社とは異なり、この神社には巫女がいた。
だが、彼女の本来の仕事は神社の管理をするばかりではなかった。
「巫女様ー!」
不意に、鳥居の方から声が響き、一人の男が境内に駆け込んできた。
「どうしました?」
法規を操る手を止め、巫女がそう問いかける。
「す、すみません・・・!失せ物探しを・・・!」
「急ぎですか?」
「はい!今も家人に探させている最中で」
「かしこまりました。中でどうぞ」
巫女は男を導き、神殿に入っていった。
そして、祭壇を前に男と向かい合うように、彼女は腰を下ろした。
「捜し物を、頭に浮かべてください」
「はい・・・」
男が、目をぎゅっとつぶって、何かを念じる。
巫女は男の真剣な表情を、やや吊り気味の目で確認すると、遅れて目蓋を下ろした。
「・・・・・・・・・・・・」
巫女の形のよい唇が静かに開閉を繰り返し、何事かを紡ぐ。
経文のようにも聞こえるが、声音が小さいせいで巫女以外には聞き取れそうになかった。
だが、彼女と向かい合う男は巫女の紡ぐ言葉よりも、失せ物のことを念じるので一杯のようだった。
「・・・・・・・・・」
しばし巫女が何事かを紡ぎ、唐突に言葉を切った。
そして、ゆっくりとした深呼吸を重ねて、彼女は目を開いた。
「わかりました。神棚と仏壇の引き出しを改めなさい」
「あ・・・」
何か心当たりがあったのだろうか、男が目を見開いた。
「ただし、改める前に必ず礼と柏手を忘れないように」
「わ、わかりました・・・!」
男は頷きながら立ち上がろうとしたが、中途半端に腰のあがったところで動きを止めた。
「お礼は・・・?」
「今も人に家を探させているのでしょう。お礼など後でよいので、急いで戻りなさい」
「・・・はい!」
巫女の言葉に男は頷き、祭壇の前を離れて神社を飛び出していった。
「・・・ふぅ・・・」
男の背中を見送ってから、巫女は小さく声を漏らした。
この稲荷神社の巫女に祭り上げられて、もう一年近くだろうか。
だが、彼女は稲荷どころか狐憑きですらない。いくらか狐を想起させる面立ちと、多少勘が鋭いだけの人間だ。
だというのにこのあたりの住民は、多少無くし物を探してやったりした彼女を、狐憑きの巫女だと祭り上げ、長らく人のいなかったこの稲荷神社の巫女に仕立てあげたのだった。
もっとも、宿なし職なしで当てもなくさまよっていた彼女にしてみれば、体を売るよりかは遙かに恵まれた待遇だった。
だが、問題が一つあった。
「巫女様!」
神殿に軒を連ねる社務所から、少年がひょっこり顔を出した。
「お洗濯と物干し、終わりました」
「ああ、ありがとうね、ハル」
少年の報告に、巫女は労いの言葉をかけた。
「じゃあ、八つの鐘が鳴るまで、遊びに行っていいわよ」
「はい!」
少年は嬉しそうに頷くと、身を翻して駆けていった。
そして、少年の背中を見送ると、彼女はふっと笑みをいくらか穏やかな物にした。
あの少年、ハルこそ彼女が巫女としてこの神社に祭られる際に、世話係として与えられた少年だった。
聞くところによると、身よりのない子供をどこかの家で預かっていたのを、体のいい口減らしとして世話係にしたらしい。
だが、ハルは子供だ。本人にいくらやる気があっても、世話係として家事の一切を任せることはできず、実質的には巫女が彼の面倒を見てやっているような状況だった。
それでも、ここ最近は掃除洗濯を覚えて、彼女に貢献してくれている。
「大きくなったもんねえ・・・」
世話係としてつれてこられた当初は、妙に巫女のことを怖がっていた彼だったが、今では火事のいくらかを分担してくれている。
その成長ぶりに、巫女はいつしか息子の成長に気がついた母親のような気分になっていた。
「おおっと、いけないいけない・・・」
未婚だというのに、一足先に母親になりきっていた自分に、巫女は頭を振った。
まだ所帯染みるには早すぎる。
「私はハルのおねえーさーん・・・」
彼女はそう拍子を付けてつぶやきながら、中断していた掃除を続けるため、境内に降りていった。




それから八つの鐘が鳴り、帰ってきた少年を夕食の買い物に行かせたり、風呂の準備をしているうちに、夕刻になっていた。
窓の外の景色が赤く染まり、徐々に暗くなっていく。
「うーん、こんな物かしら・・・?」
夕飯の味噌汁の味付けを確かめながら、巫女は首を傾げた。
今日はハルが少々汗をかいていたようなので、味付けを濃いめにしたのだが、喜ぶだろうか?
そんなことを考えていると、母屋の玄関から声が響いた。
「ただいま戻りました!」
「はーい、お帰りー」
ぱたぱたと軽い足音が響き、ハルが台所に飛び込む。
「野菜と干物、買ってきました
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