(107)龍(リュウ)

あるところに、小さな神社があった。神主もいない小さな神社だった。
祭られているのは、一体の龍だ。
力の弱い、雨乞いもできないような龍である。
実際、近隣の住民は彼女の力などアテにしておらず、せいぜい神社に住み着いている龍程度にしか考えていないようだった。
しかしその方が、力の弱い龍にとっては居心地のよいものだった。
「よいしょ、よいしょ・・・」
神社の近くを流れる川で、龍が盥を傍らに置いて洗濯をしていた。
下半身が鱗に覆われた細長いものでなければ、村娘が洗濯をしているのと代わりがなかった。
「おーい、龍ちゃーん!」
不意に、年を召した女の声が響き、龍が手を止めて顔を上げた。
「あ、ツネさん」
神社の近くに住むおばちゃんの声に、彼女は会釈した。
「洗濯かい、精がでるねえ」
「ありがとうございます」
龍は、ツネと言葉を交わしながら、止めていた手を動かした。
「全く、龍ちゃんみたいなべっぴんさんが、ウチの息子の嫁になってくれればいいのに・・・」
「またまたあ・・・ご冗談ばっかり」
「ありゃ、これでも本気だよ?」
クスクスと笑う龍に、ツネは続けた。
「それより・・・昨日の話、考えてくれた?」
「お見合い、ですか」
龍の言葉が少しだけ曇るが、ツネは変わらぬ調子で続けた。
「うん、向こうさんもいい人だから、とりあえず会うだけ会ってみなさいよ」
「でも、私・・・」
「龍ちゃんみたいな気だてのいいべっぴんさんが、言っちゃ悪いけどこんな小さな神社で埋もれてちゃダメよ。いい人のところに行って、幸せに・・・」
「おーい、龍ー?」
不意に野太い声が響き、ツネの言葉が途切れた。
ツネの顔が険しくなり、龍の顔がぱっと輝く。
「はーい、ゴンジさん!」
龍の呼び声に、神社の方からのっそりと、一人の男が姿を現した。
「お帰りなさい!ゴンジさん!」
「おう、帰ったぞ、龍」
龍の言葉に、男が応える。
「なんだ、洗濯してたのか」
川のそばに屈む龍の姿を確認したのは、クマのような男だった。
でっぷりと肉の付いた腹を着物の内に押し込め、太い四肢を取り付けた、中年の男だった。
顔は鬼瓦のように厳つく、辺りに威圧感を与えている。
「悪かったな、邪魔したみたいで」
「いいんです。すぐに片づけちゃいますから、上がって待っててください」
「おうよ・・・ああ、そうだ龍、今日はいいものを買ってきたぞ」
「もー、無駄遣いしないでくださいって言ったじゃないですか。誤魔化されませんよ?」
「無駄遣いじゃねえよ。必要な投資だ」
ゴンジはそう龍に応えると、ちらりとツネの方を見た。
「えーっと、ご近所の・・・ああ、とにかくいつも龍がお世話になってます」
ツネの名前は思い出せないようだったが、それでもゴンジはツネに向けて頭を下げた。
「ああ、こっちも龍ちゃんにはいろいろしてもらってるからねえ。お互い様よ。本当、そこらの男にはもったいないお嬢さんだよ」
「もー、ツネさんったら」
ゴンジに向けた牽制の言葉に、龍がどこか恥ずかしそうに言った。
「私なんて、格好こそ龍ですけど、本当のところ蛇に角が生えたぐらいのものですよ?それをこうやっていろいろやって補ってるだけで・・・」
「龍、あんまり卑下するな。誉めてもらってるんだぞ?」
「ゴンジさんまで・・・」
嬉しさと恥ずかしさを同居させたまま、龍は洗濯物を片づけていった。
「全く・・・龍ちゃん、今日は邪魔したね。じゃあ、またね」
「はいツネさん、お気をつけて」
龍の言葉に手を振って応えながら、ツネは川のそばを離れていった。
ゴンジが視線を向けてくるのをツネは背中で感じていたが、それ以上のことは特になにもない。
そう、このゴンジという男は、なにもしないのだ。
ふらりとこの村に現れ、龍の神社に住み着き、時折数日間姿をを消す。
ゴンジという名前以外、来歴も普段なにをしているかもよくわからない、怪しい男だ。
だというのに、龍はゴンジに対して好意を抱いているらしく、ツネが見合いの話を持っていっても断るばかりだ。
本人が互いに好意を抱いているのなら、それでもよかろう。
だが、ゴンジはダメだ。ツネは本能的なところで、ゴンジをそう踏んでいた。
今日も、おおかた町に出かけていて数日ぶりに戻ってきたのだろう。
バクチか何かで手持ちの金を失ったのだ。ただ、手ぶらで帰るのも気まずいため、何かおみやげでも持っているのだろう。
龍は誤魔化されない、などと言っていたが、その言葉はどこかうれしそうだった。
何とかして、龍をあの男から助け出さなければ。
ツネはそう決意を固めていた。



龍が洗濯物を干し、神社の本殿にひっつくようにして建てられた小屋に入ると、お茶の香りが彼女の鼻をくすぐった。
見ると、ゴンジがちゃぶ台につき、お茶をすすっていた。
「ゴンジさん」
「おう、龍。茶、飲むか?」

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