ダッハラト山脈の西側に広がるアーハット子爵領において、ベルンファルドは最大の都市である。
だがベルンファルドの北東部の区画は、領主たる僕の目にも発展しているとは言いがたく、道もろくに整備されていなかった。
凹凸の多い地面に合わせ、がたがたと揺れながら馬車が進む。
馬車が屋敷を出てから、かなり時間が経つ。
尻の下にクッションがなければ、真っ二つに割れたとしてもおかしくないほど乗りっぱなしだ。
だが向かいに座る同乗者は、それほど尻が頑丈なのかもう尻が割れているのかわからないが、揺れも気にせず外を眺めていた。
窓の向こうでは、建材を担いだいささか細身の労働者風の男たちが、建築中の家屋を背に行きかっている様子しか見えない。
まったく、この男は何が面白いのだろうか。
そんなことをつらつらと私が考えていると、同乗者が窓に押し付けるようだった顔を離し、座席の背もたれに身を預けた。
「なかなか好調のようだな。だが、ここからが大事だぞアーハット男爵」
「子爵だ」
窓の外を眺めながらの彼、ヨーガンの言葉に僕は訂正を返した。
つい数年前までは確かに男爵だったが、農業・治水用水路の完成と新規農地開拓によって税収の大幅増加に成功し、その功績で去年子爵の位を授かったのだ。
「確かに、君は去年子爵の位を授かったな」
彼は窓の外から視線を外すと、黒といってもいいほどの濃い茶色の瞳を僕に向けつつ続けた。
「だが、水路も農地開拓も農民の入植も、我々の知恵なくしては成し得なかったのではないのか?
今回の貧民街再開発も、我々の知恵がなければ思いつきもしなかっただろう。
だから、我々の中ではまだ男爵だ」
「・・・・・・」
彼の言葉に、僕は反論することが出来なかった。
彼の言う通り、月の三賢人がやってくるまで、僕はただの田舎領主の貧乏貴族だった。
そして十年前、僕の前に三賢人が現れ、彼らの言う通り領地の運営と開発を行っただけで、収入は増加し爵位も上がったのだ。
だが、それはあくまで三賢人が授けたもので、僕が自分の力で手に入れたものではない。
彼らの指示通り動く限り、僕は子爵であっても、いや仮に公爵になろうとも、彼らの中では男爵のままなのだろう。
「まあ、冗談はこのぐらいにして話を進めようか、子爵」
「今の、冗談だったのか・・・?」
彼の言葉にかなり心を抉られた僕は、ぼそりと呟いていた。
「今回のベルンファルド北東部の再開発によって、住宅地と闘技場と劇場が新たに出来るわけだ」
ヨーガンは傍らにおいていたカバンから図面を取り出すと、広げながら続けた。
「住宅街への住民受け入れに関しては、新規農地への入植を応用すれば問題は無い。
劇場に関しても、他所の街から劇団を招いて常駐させれば、それなりに目玉になるだろう。
だが、問題は闘技場だ」
彼は図面に大きく記された、闘技場で指を止めた。
「前回も説明したとおり、この闘技場はベルンファルドの一番の名物になるだろう。
だが、闘技場を満員にするほどの観客を泊める施設は、現在ベルンファルドには存在しない。
新規に宿屋街を作るのもアリだが、ほぼ毎日闘技場で何かをしていないと宿屋が潰れてしまう。
それではどうする?」
図面から顔を上げると、彼は僕に目を向けた。
「あぁ、ちゃんと考えてきている。宿泊施設については、近隣のほかの都市のものを使うことにした」
「ほう?」
前回の打ち合わせのときから考えていた答えを、僕は説明する。
「闘技場でのイベント開催中は近隣都市間を臨時の乗合馬車で結び、イベントの前日は近隣都市の宿屋に泊まってもらうようにするんだ」
「闘技場での賭博行為については?」
宿屋に関する回答を聞き届けると、ヨーガンは二問目の回答を求めた。
「禁止したところで地下賭博が行われるから、領主主催で行うことにした。闘技場への入場の時にどちらに賭けるかの切符を売って、出場時に払い戻すようにすればいい」
「なるほど、なるほど・・・」
彼は僕の回答に、感心したとでも言いたげに頷いて見せた。
「いくらか甘い部分は残っているが、なかなか考えているな」
彼の評価に、僕は内心ほっと息をついた。
その後、僕とヨーガンは馬車に揺られながら闘技場の運営や、賭博の規則について論議を交わした。
論議とは言っても、僕の出した案に彼が問題点を指摘し、それを僕が修正するといったものだったが。
とにかく、一通りの事項への対処と問題点の指摘を終えた頃には、日は大分傾いていた。
「とりあえず、今回はこんなところか」
ベルンファルドの北東部を離れ、中央の僕の屋敷に向かう道中で彼はそう言って議論を切り上げた。
「次回の打ち合わせまでに、今回の指摘とその対処を考えておくといい」
「はい・・・」
疲労により、頭の中で脳みそが倍に膨れたような感覚を味わいながら、僕は返事を返した。
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