(104)提灯おばけ

日が沈み、夕餉の時刻を迎えた頃、軒を連ねる家の一つから、子供の声が響いていた。
「いーやーだー!食べたくなーいー!」
囲炉裏を囲みお膳を前にした子供が、夕食の献立に不満の声を上げていた。
「ほら、なに言ってるの。メザシ食べなかったら、ご飯はないわよ?」
「いーやーだー!」
食べたくないが、ご飯がないのもイヤだ。子供の駄々をこねる様子に、母親はため息をついた。
「全く・・・あんまり駄々をこねていると、『オバンデス』がもらいにくるよ!」
『オバンデス』という言葉に、子供は一瞬泣き声を止めた。
だが、止めたのは一瞬のことで、再び声を上げながら泣き叫ぶ。
子供は知っているのだ。『オバンデス』は大人が子供を脅すために考え出した妖怪で、実在などしないと言うことを。
「あーもう・・・」
『オバンデス』の御利益も消えてしまったことに、母親はため息をついた。
すると、家の戸をとんとんと何かが打った。
「はーい」
突然の来客に子供が声を潜め、母親が席を立って戸口に向かう。
そして、防犯のためのつっかい棒を外して戸を開けると、外に大きな影が立っていた。
影が、戸をくぐってのっそりと家の中に入る。
戸口の上端はもちろん、一段低い土間にいるはずなのに天井に頭が着きそうなほど背が高く、頭から黒い布をすっぽりとかぶっている。
そして本来ならば人の顔があるべき場所では、燃えるような光が布の間からのぞいていた。
「・・・!」
来客の姿に、子供の目が見開かれる。
背が高く、真っ黒で、大きな一つ目の妖怪。
言うことを聞かない悪い子を貰っていくという、『オバンデス』の姿そのものだった。
すると、子供の心を読みとったのか、背の高い来訪者は身を折りながら、布の下から声を出した。
「オバンデス」
名乗りとも挨拶ともつかない、男と女の声に、子供は確信を深める。
「モライニキマシタ」
母親に向けて、『オバンデス』が言った。
その一言に、子供の背筋が凍り付く。この妖怪は、自分をもらいにきたのだ。
聞き分けのない悪い子を、『オバンデス』は貰っていく。貰われた子がどうなるかは、誰も知らない。
「はあ・・・でも、家には今悪い子は・・・」
「いい子にします!いい子にしますからもらわないで!」
母親の返答に割り込むように、子供は母の腰にすがりつきながら声を上げた。
「いい子にするって、本当?」
「はい、いい子にします!」
「好き嫌いしない?」
「しません!めざしも食べますから!」
すがりつく子供と問答を交わしてから、母親は背の高い来客に顔を向けた。
「すみませんねえ、今家には、上げられる子供がいません」
「ハイ」
来客は、母親の言葉に短く応じると、くるりと母子に背を向けて、きたときと同じく身を折りながら戸をくぐっていった。
「あ・・・ああ・・・あ・・・」
実在しないとばかり思っていた妖怪の存在への恐怖と、自分が貰われずにすんだという安堵、そして妖怪が立ち去って緊張の糸が切れ、子供は母の腰から離れながら、戸口を見ながら声を漏らしていた。
「ほら、『オバンデス』行っちゃったよ。悪い子にしてると、戻ってくるかもしれないよ?」
戸を閉めながらの母の言葉に子供ははじかれるように自分の膳に向かい、メザシにかみついていった。
(『オバンデス』様様だね)
文句も言わず、メザシを食べる子供の姿に、母親は内心妖怪に向けて感謝した。
明日、直接礼を言わねば。




子供の鳴き声が聞こえなくなった頃、並ぶ家の間を一組の男女が歩いていた。
黒い布を抱えた男と、男の胸ほどの背丈の女だ。
「いやあ、本当に驚いてたねえ、あの子」
女が男を見上げながら、にこにこと口を開く。
「ああ、そりゃあ嘘っぱちだと思っていた妖怪が、実在してたんだもんな」
女の言葉に、男が応じた。
もうおわかりだと思うが、この二人こそが『オバンデス』の正体であった。
二人で肩車をし、頭から布をかぶって姿を隠し、同時に声を出す。
これだけで、子を貰っていく妖怪『オバンデス』を演じていたのだ。
「でも、これであの子が聞き分けのいい子になるんなら、お安いご用だね」
「こっちとしたら、肩車して布かぶるだけでいいからな」
口が裂けたような化粧をする必要もない、手軽な仮装だ。
それもそのはず、女の方はすでに提灯お化けという妖怪なのだから。
「ふふ・・・」
ふと、提灯お化けが低く笑みをこぼすと、透き通った彼女の腹の中で火がゆらゆらと踊った。
「どうした?」
「いや、もし私たちの子供にオバンデスを教えなきゃいけなくなったら、誰がオバンデスをやってくれるのかなあって・・・」
「ああ・・・そのときは、どうしようかな」
男は提灯お化けの言葉に、はぐらかすように答えた。
「その時はその時、ね?」
「ああ」
胸中で、まずその時はこないだろうと付け加えながら、男は頷いた。

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