誰もいない一室で、火鉢の中の炭が静かに燃えていた。
火鉢のそばには茶虎の猫が一匹、手足を折り畳んで座っていた。
「うー、さむさむさむ・・・」
不意にふすまが開き、男がひとり手をこすりあわせながら入ってきた。
寝間着に綿入れを羽織っただけの格好からすると、ちょっと便所に行ってきたというような装いだ。
「はぁ、暖まるなあ」
男は火鉢の前に腰を下ろし、両手を広げて赤く燃える炭にかざした。
じわじわと、冷えきったからだが暖まってくる。
だが、綿入れが背中を、体の前面を火鉢が温めているというのに、腿の上は無防備だった。
「ん〜、中途半端に冷えるなあ・・・」
せっかく手や顔を暖めた熱が、腿から逃げていくことに、男は不満の声を漏らした。
予備の綿入れか何かがないかと、男は室内を見回す。
だが、男が羽織っている物のほかに綿入れはなく、布団も部屋の隅に畳んでおいてあるため手が届かなかった。
「参ったなあ・・・お」
男はふと、自分の隣でうずくまる猫に目を留めた。
数年前に野良猫がなんとなく上がり込んでからという物の、成り行きで飼っている猫だ。
余りなついているとはいいがたいが、この寒さだ。足の上に載せたところで、いやがりはしないだろう。
「ほーら、こっちおいでー」
男はそういいながら、茶色の濃淡が織りなす縞模様の固まりを抱き上げた。
閉じられていた猫の目が開き、後ろ足をだらんと垂れさせながら男の膝の上に移される。
そして、ふわふわとした温もりが、彼の腿の上に乗った。
「あー、温いぬく・・・あ」
だが、腿の上の温もりは数秒と経たない内に、ひらりと彼の膝の上から飛び降りた。
猫は畳の上を数歩すすみ、後ろ足で耳の裏をしばし掻くと、後ろ姿からもそれとわかるほど大きな口を開けてあくびをした。
「なんだよ、そんなにいやがらなくてもいいじゃないか」
手足を折り畳み、畳の上にうずくまる茶虎にむけ、男はそう唇をとがらせる。
だが、猫は耳だけを男の方に向けるばかりで、何の反応もしなかった。
「ちぇー」
男は猫の尻から目を離すと、あぐらを掻いていた両足をたて、両膝を抱えるように座りなおした。
火鉢の縁からのぞく膝が、炭の発する熱によってあぶられる。
そして、いつの間にか熱を帯びていた着物の胸元が、押し当てられる太腿を温めた。
傍目には少々不格好だが、こうして温まることもできる。
男は、しばしそのままじっと温まっていた。
辺りは静かで、隣家の話し声も聞こえない。もしかしたら、雪が降っているのかもしれなかった。
だが、男にはわざわざ窓を開けて、外を確認する気はなかった。せっかく温めた体が冷えてしまう。
「ふぃー・・・そろそろ寝るか・・・」
しばしの間をおいて、男がそうつぶやく。すると、猫の耳が小さく跳ねた。
男は火鉢の熱を惜しみながらも立ち上がり、部屋の隅に置かれた布団に向かう。
一方猫は音もなく畳の上で立ち上がり、つい先ほどまで男が腰を下ろしていた場所に移動し、我が物顔で丸くなった。
「お、温いか?」
布団を敷きながら、男がそう問いかけるが、茶虎はシマシマの尾を軽く上下させるだけだった。
男は薄っぺらな煎餅布団を敷き、その上に数枚の掛け布団を乗せると、枕の位置を整えた。
そして、火鉢のそばに向かい、火消し壷を手に取る。
「・・・にゃあ」
男のしようとしていることに気がついたのか、猫が不機嫌そうに声を漏らした。
「悪いな、放っておくと火事になるからな」
男は火消し壷のふたを開き、火鉢の中で燃え残っている炭を、一つ一つ火箸で壷の中に移した。
ごく小さな、火箸では摘みきれない炭だけを残すと、彼は火箸を肺の中に指し、火消し壷のふたをしっかり閉めた。
これで炭の火が消え、燃え残りをまた明日使える。
「ほら、寝るぞ。布団の中はあったかいぞ」
男は猫にそう呼びかけるが、猫は目を細めたままそっぽを向いた。
火鉢がじわりと帯びた温もりと、畳に残る男の体温さえあれば、それで十分だとでもいうかのようにだ。
「しょうがねえなあ」
男は苦笑すると、猫をその場に残したまま布団へと移った。
掛け布団の一番上に羽織っていた綿入れを乗せ、自身は敷き布団との間に入り込む。
冷えきった綿が一瞬男の体温を奪うが、じわじわと温もりが彼を包んでくる。
「入りたくなったら、いつでもきていいからな」
男は猫に向けてそう呼びかけるが、猫は彼に背を向けたままだった。
実に、猫らしい。
男は苦笑しながら、枕元の行灯の火をふっと吹き消した。
瞬間、闇が部屋を包み込む。
正確に言えば、火鉢に残る炭の破片がごくわずかな光を発していたが、部屋を照らすには全く足りない。
男は布団の中で体を落ち着けると、目蓋をおろし、部屋の中と変わらぬ闇を見た。
そして、眠りに入るべく、彼は呼吸を落ち着けていく。
「・・・・・・」
不意に、小さな音が
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