(99)ドッペルゲンガー

あの人の姿を見なくなって、どれほどになるだろうか。
私はあの人のすんでいるところも、名前も知らない。
ただ、時々町ですれ違う程度の人だった。
特に美男子だというわけでもないし、直接言葉を交わしたこともあまりない。
ただ、時々顔を見て、買い物をしてお店を出ようとするときに出入り口で会ったら、扉を開けたまま支えてくれるような人だ。
でも、私はそんなあの人のことが、なぜか気になってしょうがなかった。
もしかしたら、これが好きだという感情なのだろうか?
「だったらとりあえず、声かけてみなさいよ」
と、女友達は言った。
「顔と、ちょっと優しくされたぐらいでコロっといっちゃってるんだから・・・しばらく話してみれば、頭がさめるかどうかするんじゃない?」
ということらしい。
だが、私が覚悟を決めて、とりあえずあの人に声をかけようと下コロから、あの人の姿が見えなくなった。
いつもの時間に買い物に出ても、いつもと違う時間に散歩をしても、あの人と会うことはなかった。
住人全員の顔は知らないが、私とあの人が住んでいるのはそう大きな町ではない。
だから、少しずつ時間をずらしていれば、いつかあの人と出会えるはずだった。
だというのに、あの人と会えない。
私は、あの人が町を離れたのではないかと、不安になった。
そして今日もまた、私はあの人の姿を求めて、町を歩いた。
すでに必要なものは買い物袋に入っている。だが、まだ帰らない。
買い物袋に忍ばせた、私の思いをつづった手紙をあの人に渡せるよう、私は町を歩いた。
そして、太陽がだいぶ傾き、あたりが赤く染まるころ、私はやっとあの人を見つけた。
通りの向こうを、誰かと一緒に歩いている。
楽しげに誰かと談笑するあの人の姿に、私は声をかけようとした。
だけど、あの人を呼び止めることはできなかった。
あの人は、女の人と手をつないで歩いていたからだ。
私ではない、女の人。
私ぐらいの背格好で、私みたいな髪型をした女の人。
夕日とあの人の影のせいで、あまり顔は見えなかったが、あの人は女の人と歩いていた。
私の胸がずきんと痛んだ。
あの人はあんなに幸せそうな顔をしている。
あの人はあんなに楽しそうに話をしている。
私以外の誰かと。
私は、なにも考えられなくなり、手紙を買い物袋に入れたまま、あの人と誰かの後をゆっくりとついていった。
少し先を、あの人が歩いている。
あの人の楽しげな顔と、何か言葉を紡ぐ唇が、私に向けられているような気分になる。
そう、私のあの人は、今一緒に歩いているんだ。
夕日が赤く染めあげた町を、あの人と私は歩いていた。
そして、あの人は町の一角、幾度か来たことのある区画に入っていき、並ぶ家の一軒の玄関をくぐった。
程なくして家の窓を柔らかな光が照らし、楽しそうな声が響いた。
私はしばらく、窓を照らす光とあの人の影を眺めてから、家に戻った。
そして、テーブルの上に買い物袋を放りだし、私はベッドに入った。
食事もせず、着替えることもなく、毛布を頭までかぶり、私はじっと丸くなっていた。
涙は出ない。悲しくもない。ただ、胸の奥が痛いだけ。
なんで今日、買い物をした後いつまでも町をうろついていたんだろう。
なんで今日まで、あの人に手紙を渡そうとしていたのだろう。
なんであの人のことを想っていたのだろう。
こんなに胸が痛い想いをするぐらいなら、あの人のことなど知らなければよかった。
私は、毛布の中でぎゅっと目を瞑っていた。

頭の中であの人の顔が浮かんだ。
楽しげに微笑むあの人の顔だ。夕日ではなく、ろうそくかランプの柔らかな光に照らされた顔は、私を見ていた。
「・・・・・・」
あの人の唇が動き、何事かを紡ぐ。
「・・・・・・」
『私』の唇が動き、何事かを返す。
するとあの人はいっそう笑みを深め、『私』もそれに応えるように微笑んだ。
あの人は私のそばにくると、そっと私の肩に手を回した。
あの人の温もりが私を包み、あの人の胸の中に、私は頭を預けた。
「・・・・・・」
『私』が何かを言うと、あの人は何もいわず、ただ『私』の頭を撫でた。
あの人の手の感触が心地よく、私は胸の中からあの人を見上げた。
あの人は『私』を撫でる手を止め、私を見下ろした。
一瞬、私とあの人の視線が交わり、あの人がゆっくりと顔をおろしていく。
そして、あの人と『私』の唇が重なり合った。

目を開くと、私は一人で毛布を被って、ベッドの中でうずくまっていた。
体を起こすと、微かに頭が痛むのを感じた。
すでに日は昇っており、今の今までぐっすり眠っていたのだと、私は理解した。
寝すぎた。
軽く延びをして、私はあくびをした。
大きく開く口を、誰にと言うわけではないが手のひらで隠すと、唇の端に指が触れた。
昨夜、私があの人と重ね合わせた唇。
本当は毛布の中で丸くなってい
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