(96)グール

"リカルドの行方はようとして知れぬが、私は奴らのところへ行ったのではないかと考える。
私は見たのだ。リカルドの家で、扉の隙間から見たのだ。
リカルドのアトリエで、リカルドが行方不明になる前に描き上げた絵のモデルを。
生きて動き、淫らささえ感じさせる動作で骨をしゃぶる、モデルを。"

サミュエル=ラヴマン著 『リカルドのモデル』より



友人を送り返してから、俺は戸締まりを確認して地下へと続く階段を下りた。
階段の先には扉が一枚立ちふさがっていた。
長年の間、地下室と階段を隔ててきた、穴があき板の隙間が目立つ、古びた扉だ。
先ほど友人は、この扉の前に立って、板の隙間をのぞくように顔を押しつけていた。
だが、板の向こうは闇で何も見えなかったはずだ。
俺は扉の鍵をはずすとアトリエに入り、手にしていたランプからろうそくに火を移した。
ろうそくに一本ずつ火を移すうち、アトリエが柔らかな光に照らされる。
アトリエといっても、元は物置だったためほとんど何も内に等しい。
あるのはイーゼルと描きかけのカンバスと、イスに作業用の台。そして、ベッドが一台だ。
「待たせたね」
ベッドの上に根転がる彼女に向け、俺はそう声をかけた。
「妙な足音がしてたと思ったら・・・知り合いかい?」
ベッドの上に根転がっていた彼女が、俺の方に顔を向けながら尋ねた。口に咥えていた鳥の骨が、彼女の一言一言に合わせて上下に踊っていた。
「ああ、サロンの知り合いでね・・・俺の絵に小説を書いてくれる、いい奴だ」
「へえ、今度読んでみたいモンだね」
彼女はそう言うと、ふふふ、と笑った。
「どうした?」
「いや・・・そのお友達は、アタシのことなんか知らないっていうのに、アタシをモデルに小説を書くっていうのが、どうもおかしくてね・・・」
彼女はそう言うと、咥えていた鳥の骨を転がした。
「まあ、グールに対する書物上での知識がベースだから、君自身が主人公というわけじゃないけどね・・・」
「でも、アタシの絵を見て書いてくれてるんだろ?だったら、そりゃアタシさね」
「まあ、そう考えるのはいいけど、読んでから『違う』って言うなよ」
俺は筆とパレットの準備をしながら、そう言った。
「ところで、そろそろ続きを書きたいから、こっちにきてくれないかな?」
「はいよ」
彼女はベッドから身を起こすと、ろうそくの光が微妙に届かない部屋の奥から、足を踏み出した。
ろうそくの光に照らし出されたのは、屍肉を食らう鬼と噂される魔物、グールの姿だった。




教団の影響力が強く、魔や不浄のものを良しとしないこの町においても、そういった闇に魅せられる人間は多くいた。
彼らは同行の士を得るため、秘密のサロンを作り出し、己の『体験』を作品として、メンバー同士で楽しんでいた。
俺はサロンでは絵描きとして通っていた。それも、ゴーストやゾンビなど、ことさら不浄だと忌み嫌われるアンデッドを得意としていた。
墓石の下からゾンビが出てくる様子を描いた『再生』や、ゴーストが廃屋の窓から町を見つめてる様子を描いた『夜想』が評価され、サロンでも中の上ほどの人気があった。
だが、それらの絵は俺の頭の中で考えたものを描いただけにすぎなかった。
実物を描くのに比べ、想像だけでものを描くのは難しい。あっと言うまに俺のアイデアは涸れ果ててしまった。
カンバスに向かっても構図一つ浮かばず、手が動いたと思えば描かれるのは過去作の焼き直しばかり。
友人の小説に、当たり障りのない挿し絵を捧げて、俺はスランプに陥っていることをごまかしていた。
グールの彼女と出会ったのは、インスピレーションを得るため、夜中に墓地を散策していたときだった。
冷えてはいるものの、妙に湿った夜気の中を進み、俺は町外れの墓地に入った。
埋葬法の制定により、死者は地中深くに埋められ、死臭は地上から消えた。墓地は俺が子供の頃よりきれいになっており、月明かりの下清浄な空気を湛えていた。
だがその一方で、おどろおどろしい、土を突き破って何かがでてきそうな気配は消えてしまっていた。
俺は死者の眠りを妨げないよう、静かに墓地を進み、あわよくばゴーストでも見られないかと思っていた。
すると、俺の耳を小さな音がたたいた。土をひっかくような、擦れる音だ。
音に誘われ、墓石の陰からそっと顔をのぞかせると、地面にひざを突き、両手で土を掘ろうとしている女の背中を、俺は見た。
墓泥棒か?それとも死体泥棒?違う、魔物だ。
真新しい墓碑の前に屈む、知識でしか知らなかったグールの姿に、俺は心の奥底で歓喜した。
想像と、他人の描いた絵でしか見たことのない魔物が、すぐそこにいる。
俺は躍る心を抑えきれず、思わず小さく声を漏らしてしまった。
ほんの少し、吐息に喉の震えが加わった程度にすぎないはずの声は、墓地の静寂を易々と
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