海沿いの町の港に桟橋が並んでいた。
僕は桟橋の一本の先端に座り込み、海をぼんやりと見つめていた。すでに日が沈んでから大分過ぎ、まだまだ暑い季節とはいえ寒さが身にしみてくる。
しかし、僕は桟橋から離れることもなく、寒さをこらえて海を見つめていた。
彼女が、連れ去られた海をだ。
この町を一として、海沿いの町に新興宗教が広がっている。主神ではなく、海を崇め、海に帰ることを掲げる団体だった。
人はすべて海の恵みによって生かされているにすぎず、海に帰ることこそが人類の目的であるという主張だった。
連中は、漁師など海と関わりの深い者を中心に仲間を増やしており、今ではかなりの規模になっているらしい。
そして現在、連中は海に捧げものをして、海を宥め、未来の保証を得ようとしている。
簡単に言うと、海に生け贄を捧げているのだ。
男女関わらず、身よりのない者を沖まで連れ去り、足におもりを着けて海に放り込むらしい。
僕の恋人も、そうやって連れ去られたのだ。
連中からしてみれば、親兄弟がおらず、僕と同居していない彼女は、身よりのない者に見えたのだろう。
連中が彼女を連れ去るとき、僕は全力で止めようとした。しかし、数人を相手にどうにかできるはずもなく、僕は動けなくなるまで殴られた。
声も出せなくなった僕を見下ろしながら、リーダー格の太った男は彼女に、気絶した僕を連れていくか自分で付いていくか問いかけた。
彼女の答えは、自分で付いていくことだった。
止めようにも声が出ず、指一本動かない。彼女は最後に僕の頭に一度触れてから、連中とともに立ち去っていった。
それから、痛む体に鞭を打ち、どうにかこの桟橋まで移動した。だが時はすでに夕刻で、連中は船を出したどころか、彼女を海に放り込んで帰った後だった。
この、青い海のどこかを、彼女はさまよっている。
海を見つめながら、僕は情けなさと痛みに涙があふれるのを感じた。
そして、僕は桟橋から前のめりになり、海に身を投じた。
海水が全身を打ち、傷が濡れて痛み出す。
だがそれ以上に、口と鼻から入ってくる水が苦しみを生んだ。
僕は思わず、海面を目指して浮かび上がりそうになるが、脳裏に彼女の顔がよぎって思いとどまった。
彼女は、足におもりを着けられ、海に投じられたのだ。苦しくとも浮かび上がることなど許されなかったのだ。
僕も、そうしなければ。
空気を求めてひくつく肺を宥めながら、僕は手足を動かし、海の底目指して海水を掻いた。
立てば顔ぐらいは出せるかもしれないほどの深さだが、底を目指すのは難しい。
勝手に浮かび上がりそうになる体を、必死に底へ向けて沈め続ける。
すると、心臓が早鐘のように打ち、苦しさに肺が痙攣する。もう息を止めていられない。
限界の訪れに、僕は口と鼻から息を溢れさせた。そして反射的に吸い込み、たっぷりと水を飲んでしまう。
肺に流れ込んだ海水に、勝手に体がせき込み、空気を求める。だが、それは肺に残っている空気を吐き出すだけでしかなかった。
すると、息苦しさが急速に薄れ、同時に視界が暗くなっていくのを感じた。
海を透かして海底を照らす月明かりが、だんだん暗くなっていく。
代わりに、頭の中でこれまでの日々が、あっと言う間に駆け抜けていく。
あまり覚えていなかったはずの子供の頃がありありと目の前に浮かび、覚えている出来事についてはもう一度体験しているのではないかと言うほど鮮明に蘇った。そして、彼女との出会いに至り、彼女との日々が流れ、今日の別れが通り過ぎていった。
後に残ったのは、闇だった。
いや、ちがう。最後に、彼女の顔を、見たような気がした。
目を開くと、薄暗い空間が広がっていた。
ここはどこだろうか。遙か上方に、ゆらゆら揺れる銀色の光が見える。
「あら・・・目が覚めたのね・・・」
横からの声に、僕は顔を横に向けた。
するとそこには、僕に添い寝するようにして、彼女が横たわっていた。
連中に連れていかれ、海に放り込まれたはずの、彼女がだ。
「え・・・何で・・・え・・・?」
「びっくりした?」
混乱する僕を見ながら、彼女がくすくすと笑った。
「そんな、君は海に・・・」
そこまで言ったところで、僕は思いだした。僕も海に身を投げたのだ。
よく見ると、彼女の顔は妙に青い。きっとここは、海で死んだ者が集う場所なのだろう。
「違うわよ。確かに放り込まれたけど、死んでないわ」
僕の心を見透かしたかのように、彼女が笑った。
「ほら、見て」
そう言って彼女が腕を差し出す。二の腕までは、妙に青ざめてはいるが人の肌をしている。だが、彼女の肘から先は、青黒い鱗が並ぶ奇妙な手袋に包まれていた。
「これは・・・?」
「これだけじゃないわよ、足も、頭も・・・」
彼女は僕の傍らで身を起こすと、見せつけるように、自身の足を掲げて見せた。彼女の足は、
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