(73)ゴースト

時刻は昼過ぎ、雲が漂う空の下、まばらに木の茂るなだらかな丘を、男が一人上っていた。
軽装鎧を身に纏い、腰に緩やかに湾曲した鞘に収まる剣を差した、若い男だ。
男は丘の斜面を一歩ずつ、ペースを保ちながら上っている。足取りも呼吸も乱れておらず、彼が徒歩での移動に慣れていることがわかる。
しかし、丘の中腹辺りで、不意に彼が顔をしかめ、腹に手を当てた。
「痛っ・・・いつつ・・・」
歩幅が小さくなり、彼の口から声が漏れる。
だが、男は腹を確かめるのではなく、空を仰いだ。
いつの間にか空を灰色の雲が覆いつつあり、頬を撫でる風も湿り気をはらんでいた。
「一雨くるかな・・・」
男は丘の頂上に茂る木々に目を向けると、歩幅を広げて足早に上っていった。
やがて、ぽつりぽつりと雨の滴が男の肌に触れ始めた頃、彼は丘の頂に至った。
並ぶ十数本の木々はいずれも大きく、枝葉を広げて空と地面を遮っていた。
適当な木の根本ならば、雨をしのげそうだ。
「えーと・・・お・・・!」
雨粒が葉を叩く音を聞きながら、木々の合間を進んでいると、男は樹木の一本の根方に、ウロが口を開けているのを見つけた。
ここならば、完全に雨をしのげるだろう。
彼はウロの中を確かめ、獣の臭いや体毛など、先住者の痕跡がないのを確認すると、中に入っていった。
「ふぅ・・・」
剣を抜いて傍らに置き、腰を下ろしながら一息つく。
すると、男は雨足が強まるのを、葉を叩く雨音が大きくなることで悟った。
どうやら、雨はもうしばらく続くようだ。
「だったら、もう少しゆっくりさせてもらうか、っと・・・」
軽装鎧の留め具を外し、鎧を脱ぐ。
鎧とシャツの合間に溜まっていた熱が、ウロの中に広がっていく。
雨が降っているとはいえ、樹木の中だ。軽装鎧に染み込んだ多少の湿気など、こうして広げておけば樹木が吸ってくれるだろう。
男は内側が上向きになるよう、鎧を置いた。
すると、鎧の内側に刻まれていた文字が、彼の目に入った。
アルベルト・ラストス。
男の名前だ。



彼が目的はあれど、当てのない旅を始めたのは、十年以上前にさかのぼる。
物心ついたときから、彼の側にいたゴーストの少女の正体を探り、彼女をいるべき場所へと送るために、故郷の村を出たのだ。
ゴーストの少女に名前はなかった。そこでアルは、彼女にマティアータという名前を与えた。
マティアータとの旅は、当時は鬱陶しさが勝っていたが、今思い返してみれば楽しいものだったように、アルには思えた。
ゴーストという特質を生かし、ダンジョンや遺跡の通路を確認してもらったり、酒場での博打の際に相手の手札を確認してもらったり。
彼女に助けられながら、アルは彼女の正体を求めて、あちこちをさまよった。
そんな旅に転機が訪れたのは、彼がダッハラト山脈にほど近い山間の村、エルンデルストにたどり着いた頃からだった。
エルンデルストに住むという三人の賢者に、マティの正体を探ってもらうためだった。
三賢人と称される三人の魔術師は、マティの正体を探る代わりに、アルとマティに三賢人の下で働くことを求めた。
それから、いろいろなことがあった。
エルンデルスト近辺に住む魔物に手紙を送り届けたり、魔物の下で剣の修行に明け暮れたり。
海沿いの村で、大量発生した魔物の撃退と、その原因を探ったり。
あるいは、アルの為の剣を作るため北の土地まで良質の鉄を取りに行ったり、エルンデルストを治めるアーハット子爵の主催する武闘大会にエルンデルスト代表で参加したり。
時にはマティの助けを借りながら、いろいろなことをアルは経験した。
そんな日々を送る内、エルンデルストを白尽くめの集団が訪れた。
白尽くめの集団は、教団の浄罪士達で、なにやら大きなことを成し遂げるために、三賢人の協力を求めてきたらしい。
結論から言うと、浄罪士達の長であるルシアス・ジュアン・タルタリウスがもくろんでいたのは、地獄の門を開くことだった。
魔物が人のようにものを考える心を手に入れたのは、己の罪を懺悔するために主神が与えてくださった慈悲であり、すべての人と魔物が心の底より懺悔できるよう、地獄門を開いて獄卒達ををこの地上に呼び出す。それが目的だった。
アルとマティと三賢人の調査の結果、浄罪士達はほぼ独力で地獄の門を探り当てており、最終確認をさせるために三賢人に協力を仰いだことがわかった。
そして三賢人の工作や、浄罪局と対立する異端審問局の協力もむなしく、地獄の門は開かれた。
最初に門の向こうにつれていかれたのは浄罪士の長ジュアンで、最初に門の向こうからやってきたのは、獄卒にされた彼であった。
本物の獄卒達が門を越えてくるまで、門を開けたままにしておくことが獄卒となったジュアンの仕事であった。
地獄の門を閉ざすため、三賢人が浄罪士達の作り上げた術式の解析を行う傍ら、
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