薄暗い荷馬車の中で、少年ぼんやりと空を眺めていた。
彼を含む数人の少年達が、半ば売られるような形で奉公に出されてから、既に数日が経過している。
同乗していた友人達は一人、また一人と道中の町や農場で下ろされ、今は彼一人しか荷台に乗っていなかった。
この数日で少年は生家のある村の方角はおろか、そこまでの距離すら分からなくなっていた。
やがて、荷馬車がその速度を落とし、小さな揺れと共に止まる。
『着いたぞ、降りろ』
御者の言葉に従い、少年はかすかに痛む尻を擦りながら、荷馬車を降りた。
『あれがお前の新しい家だ』
少年が逃げないよう、その小さな肩にごつごつとした手を載せながら、御者はある方向を指し示した。
彼の指先には大きく平たい木造の建物と、それに寄り添うように立てられた三階建ての家屋があった。
その向こうには柵に囲まれた草原が広がっており、少年にもそこが牧場であることが分かった。
『さ、着いて来な』
男は肩を掴んだまま、少年に歩くよう促す。
やがて二人は木造の家屋の前に着いた。
男は握りこぶしを作ると、建物の玄関のドアを力強くノックする。
『・・・はい』
しばしの間をおいて、女の声と共に玄関が開いた。
ドアの向こうから顔を覗かせたのは、三十過ぎほどの髪の黒い女だった。
『どうもお待たせいたしました!お約束の奉公人を連れてまいりました!』
現れた女に、男は少年の頭を抑えつつ、自らも深々と頭を下げた。
『ご希望通り、若くて頑丈そうで、大人しめの男です!お眼鏡に叶うといいのですが・・・』
女は顔を上げた少年に、頭の上から爪先まで、品定めするように視線を這わせた。
『ふぅん・・・いいじゃない』
『へ!毎度ありがとうございます』
女の言葉に、男は再び頭を下げつつ礼を述べた。
『それじゃあ支払いはいつも通り・・・』
『へぇ!宜しくお願いします!』
『いつもありがと、今度もお願いね』
『へ!へ!どうぞ今後ともご贔屓に!』
男は何度も頭を下げると、少年をその場に残し、歩み去っていった。
『・・・・・・』
『さて、と・・・良く来てくれたわね、長旅で疲れたでしょう?』
足早に離れていく男の姿を見送る少年に、女が声をかけた。
振り返ると、先程まで男に向けていたものとは違う、優しい笑みを浮かべた女の姿が、彼の目に映った。
『まずは上がって、ちょっと休みなさい』
彼女はドアを大きく開き、少年を招き入れた。
『は、はい・・・』
ぎこちなく応えつつ、彼は建物の中に入る。
すると彼を迎えたのは、大きなテーブルに椅子が何脚か並べられた部屋だった。
大きなテーブルや部屋の様子も、少年は生家のある村では見たことがなかった。
『ここは食堂よ。ウチで働いているコたちが、ここで御飯を食べるの』
物珍しげに視線をあちこちに向ける少年に、女が簡単に説明する。
『とりあえず、そこに座って待ってて。飲み物を持ってくるわ』
彼女はそういうと、部屋の奥に設けられた扉をくぐり、隣の部屋へ消えていった。
少年は異様に広い食堂に戸惑いつつも、テーブルの端に位置する席に着き、女を待った。
程無くして再び扉が開き、女が出てきた。
その両手には大きなコップと、素焼きの水差しが握られている。
『お待たせ』
女は少年の側に歩み寄ると、手にした大きなコップを彼の前に置き、水差しを傾けた。
素焼きの水差しから、真っ白なミルクがコップへ注がれる。
『ウチで今朝搾ったばかりの牛乳よ。さ、どうぞ』
『あ、ありがとうございます・・・』
彼は緊張しつつも礼をいい、コップに手を伸ばした。
そしてコップの縁に唇をつけ、牛乳を飲んだ。
微かなとろみと僅かな甘みを含んだ、濃厚な味わいの牛乳が、少年の舌の上を滑り、胃の腑へ流れ込んでいった。
『・・・・・・ぷはぁ・・・』
牛乳をすべて飲むと、少年は息を着く。
同時に、彼は身体が温まってくるのを感じた。
『・・・全部飲んだわね・・・』
特に喉が渇いたわけでもないのに、大きなコップの牛乳を飲み干した少年に、彼女は笑みを浮かべながら続ける。
『さ、そろそろウチの説明と案内をしてあげるわ・・・さ、行きましょう』
『あ、はい・・・』
身体の奥から湧いてくる温もりに戸惑いながらも、彼は椅子から立ち上がった。





『それで、ここが物置。あまり使わない道具はいつもここにおいてるの』
『はぁはぁ・・・』
女の後について、家屋の各部屋の説明を受けながら、少年は呼吸を荒くしていた。
牛乳を飲んだ直後から感じていたからだの温もりは、もはや発熱といっていいほどに高まっていた。
そしてそれにあわせるように呼吸も荒くなり、額には汗の玉が浮かんでいた。
まるで、辺りを思い切り走ってきた直後のようだ。
ただ一点、少年が欠片も疲労を覚えていない点を除けばだが。
『はぁ、はぁ・・・』
『・・・・・・それじゃ
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