朝、街の一角の住宅街に、二人の魔物がいた。
すらりとしたサキュバスと、十歳ほどのアリスだ。
「ダインお兄ちゃん、まだかなー」
「もうすぐよ、ドナ」
愛らしいドレスに袖を通し、宝物のブローチを胸元に着けて目一杯のおめかしをしたドナに、母親のサキュバスは微笑む。
「あ!来た!」
ドナが声を上げながら、庭を挟んだ門の向こうを指さし、慌てたように手を引っ込めた。
代わりに、期待と喜びに満ちた視線を、門扉に歩み寄る青年に注いだ。
「おはようございます」
「おはよう、ダイン君」
「ダインお兄ちゃん、おはよう!」
門扉を開き、庭に入りながらの青年の挨拶に、サキュバスは軽く手を上げ、ドナは小さな翼をぱたぱたと動かしながら応えた。
「セルマは?」
「化粧に手間取っていたようなので、先に俺だけ来ました。もうすぐ追いつくと思います」
「そう」
母親と青年が言葉を交わす様子、正確に言えば言葉を紡ぐ青年の姿を、ドナはニコニコと見上げていた。
「じゃあ、約束通りドナのこと、お願いね?」
「はい。お姉さんも、妹さんと姉妹水入らずを楽しんでください」
「ありがと、ふふふ」
サキュバスはドナに視線を向けて、続けた。
「それじゃ、ドナ。ダインお兄ちゃんにワガママ言って、困らせたらだめよ?」
「うん!」
どこかそわそわとした様子で、アリスは大きく頷いた。
「それじゃ、行ってらっしゃい」
「行ってきます!」
母親の一言に、ドナは母親の側を飛び出し、ダインに抱きつかんばかりの勢いで駆け寄った。
「行って参ります。じゃ、行こうか、ドナちゃん」
「うん!」
青年の差し出した手を取りながら、彼女は満面の笑顔で頷いた。
ダインとドナは家を離れ、しばし住宅街の間を進んだ。
二人が手をつなぐ様子は、年の離れた兄妹、下手すれば若々しい父親と娘のように見えたが、ドナ自身はそのどちらでもないらしい。
「それでね、ミューちゃんの家は床屋さんなんだけど、ミューちゃんのお父さんは頭つるつるなの!」
「へえ」
自分の手を握りながら、最近学校や家で起こったことについて一生懸命に話すドナに、ダインはにこにこと相づちを打った。
「ミューちゃんのお母さんはレッサーサキュバスで、髪の毛も腕の毛もふさふさなのに、お父さんは頭も眉毛もないつるつるなの!だからミューちゃんはふつうのサキュバスなんだよ!」
「ちょうど間をとった、って訳だね」
二人が言葉を交わしながら道を進むうち、大通りにでた。
馬車や荷車が行き交う、幅広の通りだ。
二人はしばし通りに沿って進むと、道の傍らに設置された、乗り合い馬車の停留所で足を止めた。
「じゃあドナちゃん、馬車の中では?」
「おしずかに、ね!」
青年とのおしゃべりは楽しいが、彼の迷惑になるようなことはしてはいけない。
母親との約束もあったが、彼女自身が青年を困らせたくないという想いの方が大きかった。
しばし行き交う馬車を眺めながら、取り留めもない話をしていると、やや大きな馬車がゆっくりとやってきて、二人の前で止まった。
「はい、メッジャ通り行きですよー」
馬車の上に乗っていたハーピーが、バサバサと翼をならしながら二人の前に舞い降りた。
「大人一枚小人一枚、終点まで」
「はいはい、銀貨二枚ですー」
青年は財布を開くと、いわれたとおりの金額を取り出し、ハーピーの車掌が差し出した小さな紙切れと引き替えた。
「ご乗車どうぞ〜」
「はーい」
ドナは車掌の言葉に、乗り合い馬車に乗り込んでいった。
最大八人が乗れるほどの広さの馬車には、先客が一人いた。
「揺れると危ないですので、ご着席お願いしまーす」
「はい。ドナちゃん座って」
「うん」
ダインの言葉に、ドナはやや小さな声と共にうなづき、窓際の席に腰を下ろした。
すると、彼女の隣に青年が座る。
「はい、発車しまーす」
車掌が馬車の扉を閉め、御者に合図を送ると、かすかな揺れと共に馬車が動き出した。遅れて翼が空気を打つ音が響き、馬車の上に何かが乗る。
「車掌さん、遠くまで見られていいねー」
「でも、馬車の上にイスはないから、ちょっと辛いよ」
馬車の上のハーピーについて、二人は先客の迷惑にならない程度の小声で言葉を交わした。
「でも、大きくなったら馬車の車掌さんになりたいかも・・・どうやったらなれるのかな、ダインお兄ちゃん?」
「うーん、ちょっと分からないなあ・・・でも、いろいろ試験があるだろうから、お勉強をがんばらないとね」
子供の思いつきレベルの『なりたい』という欲求に、青年は適当にごまかすことなく考えた。
「お勉強かー・・・うん、あたしがんばる」
「うふふふふ・・・」
すると、今まで無言で窓の外を眺めていた馬車の先客が、不意に笑みを漏らした。
「あら、ごめんなさい」
帽子をかぶった、ワーウルフの女が、笑みを漏らしたことに気がついたのか
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