(60)アマゾネス

シャリシャリと、玄関先から音が響いていた。
ふと玄関に出てみると、浅黒い肌の女が一人、庭と玄関の境ほどに屈み込んでいた。女は、僕の妻のアマゾネスであった。
彼女の前には小さな盥が置いてあり、傍らに広げられた布の上には、濡れた包丁が並んでいた。
「刃物を研いでるの?」
「うむ」
前後に小さく揺れる彼女の背中に声をかけると、アマゾネスは振り返りもせずに応じた。
「包丁の切れ味が落ちて、な」
「言ってくれれば僕が研いだのに。代わろうか?」
「いやいい」
僕の申し出に、彼女は首を振った。
「アマゾネスの集落では、自分の使うものは自分で手入れするのが掟だったからな。集落を離れて久しいが、この習慣は大事にしておきたい」そういう彼女の背中は、住む場所が変わっても、自身がアマゾネスであると主張しているようだった。
狩猟もできず、傷跡や入れ墨を衣服の下に隠し、褐色の肌や銀色の髪でしか出自を示せないと思っていたのに。
「・・・よし・・・」
砥石の上で前後に動かしていた手を止め、指を軽く包丁の刃に当てて鋭さを確かめると、彼女はそうつぶやいた。
どうやら、全部研ぎ終えたようだった。
彼女は刃物を布で丸めてまとめると、盥の水を捨ててから立ち上がった。
「ちょっと通してくれ」
「ああ、ごめんごめん」
玄関に向けて歩いてきた彼女のため道をあけてやると、アマゾネスは僕の横を通り抜けていった。
その瞬間、彼女の背中の半ばに届くほどの、緩やかに波打つ銀色の髪の毛に、僕は自然と手を伸ばしていた。
髪の半ば、うなじの辺りに触れ、そのまま毛先へ指を滑らせる。
さらさらとした感触が指先に残った。
「・・・・・・・・・」
彼女は言葉こそなかったものの、一瞬呼吸のペースを乱した。だが、僕に対し何か言うわけでも、一瞥するわけでもなく、そのまま玄関から家に上がっていった。



それから、僕と彼女は特に何事もなく、いつものように用事を片づけ、夕食や風呂をすませてベッドに入った。
いつもならば彼女が僕に手を伸ばし、互いの体をさぐり合うのだが、今夜は彼女が手を伸ばす様子はなかった。
もしかして、待っているのだろうか?年に一度あるかないかの、今夜は責められたい気分なのかと考えていると、ふと彼女が言葉を漏らした。
「なあ・・・昼間のあれ、いったい何だったんだ・・・?ずっと考えていたが、わからないんだ・・・」
「昼間のあれ?」
彼女の言葉に、僕は昼間にやったことを思い返した。
「ええと・・・」
「包丁を研いだ後のことだ。じらさないでくれ」
薄闇の中、彼女が唇を尖らせるのが語調だけでわかった。
「あー、あれかー・・・」
「なぜあのとき、私の髪に触れたんだ?尻とかなら、まだわからないでもないんだが・・・」
「ええとね、本当のことを言うと僕にもよくわからない。触りたくなったとか、そういう考えと関係なく、気が付いたら触ってたんだよ」
「・・・なんだ、それは・・・」
彼女の言葉に、若干の呆れが混じる。
「いやあ、でもたまにあるでしょ?きれいな泉を見つけたら水に手を入れていたとか、丹念に研がれた刃物を手渡されたら刃先に触れていたとか。そういうのに近いと思う」
そこまで言ってしまってから僕は、自分が割と恥ずかしいことを言っていることに気が付いたが、止めるつもりはなかった。
「つまり、あのときアマゾネスにもどっていた君の姿が、それだけきれいだったということかな」
「きれい、か・・・」
彼女はその一言を繰り返してから、ふふ、と小さく笑った。
「お前からは何度も言われたが、改めて口にされるとどうもこそばゆいな・・・だが、悪い気分じゃない」
もぞもぞと、闇の中で寝間着とシーツのこすれる音が響き、彼女が寝返りを打ったのがわかった。
「なあ・・・」
「ああ、その前に、一つだけいいかな?もう一度、髪を触らせてくれないかな?」
「むぅ・・・」
彼女が何か言おうとした瞬間、僕が口を挟んだことで、彼女の語調に戸惑いが混ざった。
「さっきの話で、また触りたくなっちゃったんだよ。代わりに大体のお願いは聞くから、ねえ・・・」
「仕方ない・・・好きなだけ撫でろ」
「ありがと」
僕はシーツの下で、少しだけ彼女に体を寄せた。
僕の予想通り、彼女は僕の方を向くように横になっており、彼女の膝や乳房が寝間着越しに僕の体に触れた。
僕も彼女に倣って横向きになると、彼女の頭に手を伸ばした。
薄闇の中におぼろげに浮かび上がる彼女の頭、こめかみの辺りから張り出す角の下の辺りに、指が触れる。
「ん・・・」
こめかみから耳に沿って後頭部に回り、うなじへと流れ落ちていく髪の毛に指を通すと、彼女が低く声を漏らした。
指先に触れるのは、直接目にせずともわかるほどさらさらした、緩やかにウェーブする彼女の髪の毛だ。
アマゾネスの集落にいたころは、手入れなど無頓
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