(57)ホルスタウロス

ホルスタウロスのホリーは、自宅でもある農場の敷地を歩いていた。
普段ならば、畜舎で台に寝そべり、夫である男の手で乳を搾ってもらっているのだが、今の彼女は違った。
大きな帽子をかぶり、首もとにタオルを巻いて、農場を囲う柵の内側をぶらぶらと歩いているのだ。
敷地の見回りは本来、男のもう一人の妻であるミノタウロスのミナの仕事だ。しかし昨日、ミナがついに不満を爆発させて泣き出し、互いの仕事を知るため一日だけ交代することになったのだ。
だがホリーは、内心彼女に感謝していた。乳搾りをしないため、胸は張るが、たまにはお散歩代わりの見回りもいいものだ。それに、彼女も乳搾りの辛さを知れば、自分への感謝を自覚するだろう。
「あー、いいお天気!」
雲一つない青空の下、彼女は伸びをした。
「ホリー、もう準備できたのか」
背後からの声に振り返ると、男が立っているのが見えた。
「はい、今日一日、ミナの代わりですから。代わりとはいえ、ちゃんと仕事しないと」
そう、ミナの代わりも勤められないようでは、彼女に笑われてしまう。
「んー・・・まあ、いい心がけだね」
一度言葉を濁らせてから、男は頷いた。
「じゃあこっちに」
「はい」
男の導きに従い、ホリーは畜舎の向かいほどの畑に歩み寄った。
「とりあえず、今日は虫取りと雑草摘みをやってもらおうと思う」
男は野菜の植えてある畑にかがみ込むと、土を指した。
「畝にリョウナミが植えてあるけど、分かるよね?」
「もちろんです」
乳搾りの合間、リョウナミを種から苗に育てたり、収穫したリョウナミが食卓に上ることもあるため、ホリーにも見分けがついた。
「じゃあ、雑草を摘んでおいてくれないかな?リョウナミもだいぶ大きくなってきたけど、まだまだ小さいから雑草に栄養をとられちゃうんだ」
「任せてください」
ホリーは乳房の上、鎖骨のあたりに軽く拳を当てた。
「うん。それと、あっちのワライチゴの見張りと、虫取りもお願い」
「はい」
「じゃあ僕は、ミナのところに行ってるから。何かあったら、大声でね」
「分かりました」
男は立ち上がると、畜舎の方へ消えていった。
「さーて、と!」
ホリーは野菜に紛れて生える、細い草を毟ろうとその場にかがみ込む。しかし、足をそろえていては、自身の膝が乳房に当たってしまうことに気がついた。
今はそうないが、乳房の中に母乳が溜まってきたら、膝の圧迫で漏れ出すかもしれない。
「仕方ないなあ・・・えーい」
彼女は内心の恥ずかしさを覚えながらも、大きく膝を左右に広げてかがみ込んだ。
そして、手を伸ばして土の合間に生える雑草を摘み、引き抜く。草は彼女の手によってたやすく土から離れ、彼女の傍らに置かれた籠に入っていった。
「あ〜らくちんらくちん」
ホリーは手を動かしながら、帽子の下で、にこにこと笑いながら思わずつぶやいた。
この調子なら、昼前に仕事は終わり、後は見張りと称して敷地の縁をぶらぶらお散歩できるかもしれない。
「ミナに悪いわぁ」
自分も誉めてほしいと涙ながらに訴えられた時は申し訳なく感じたが、今は彼女の愚に感謝していた。
たまにはこんな日もいいかもしれない。



額を汗が滑り落ち、眉間から鼻梁を伝い、鼻先から滴り落ちる。
汗の滴は、まっすぐに地面に落ち、土にぶつかって消えた。
「うぅぅぅ・・・」
首に下げたタオルで顔を拭い、彼女はうめき声を漏らした。
タオルはぐっしょりと濡れており、雑草を抜いた際に手に付いた土で薄く汚れている。そんなタオルで拭った顔はきっと、泥化粧に彩られているのだろう。
だが、生ぬるい汗の粒が顔を這う不快感に比べれば、数倍はましだ。
「ぷは・・・」
顔を覆っていたタオルを離すと、風が顔をなで、一瞬の清涼感が得られた。しかし、照りつける太陽の光が、彼女の肌にじわりと汗を滲ませる。
「続き・・・続き・・・」
ホリーは低い声で、呻くように言うと、大きく開いた足をずらして、一歩分横に移動した。そしてのろのろと手を伸ばし、リョウナミの合間に生える雑草の芽や、ミナが取り損ねて育った物を引き抜いていった。
雑草は、彼女の指の力でたやすく土から離れる。雑草自体も、ごく小さい物のため非常に軽い。
しかし、それを傍らの籠まで持ち上げる腕の方が、ホリーにとっては重かった。
「うぅぅぅ・・・」
ホリーは目の前にある雑草を摘み終えると、低くうめきながら立ち上がった。
曲げたままだった膝が、微かにみしみしと音を立てて伸び、曲がっていた背中や腰がまっすぐになっていく。そして、ホリーの腕や背中、腰に太腿が、鈍い痛みを彼女に伝えた。
「あー・・・」
両手をあげ、伸びをしながら彼女は声を漏らした。
全身の痛みは微かに和らぎ、頭の中に溜まっていた疲労感も少しだけ意識の中から押し流される。
しかしその彼女も、畑に目を向けた瞬間、顔を
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