(52)ジョロウグモ

かたん ぱたん かたん ぱたん

仕事部屋として使っている一室に、機織りの音が響いております。
横糸が行き来し、縦糸が入れ替わり、布が少しだけ織り上がる。
私の仕事の音が響いております。

かたん ぱたん かたん ぱたん

「・・・・・・」
声を出さず、機織りの音の合間に耳を傾けますが、ほかの音は何も聞こえません。
まるで、この一室だけが切り離され、砂の海の真ん中に取り残されたような。
あるいは、この部屋を残しほかのすべてが消えてしまったような。
そんな錯覚を覚えます。

かたん ぱたん かたん ぱたん

ですが、私の胸に不安や孤独はありません。仮にこの部屋だけになったとしても、私一人ぽっちではないのですから。
「タケ」
「はい」
後ろからの、私の名を呼ぶ声に、私は返事をしました。手を止めて振り返ると、殿方が一人部屋の隅に座っておりました。
「縫い上がったぞ」
「あら、もうですか」
「ああ、ほら」
殿方は私に見えるよう、幅広の布を広げながら掲げてくださいました。
それは一本の帯でした。布を綺麗に縫いあげて作った、あの方の思いが籠もった帯。
「ああ、よく見せてください」
私は、帯の仕上がりをよく見ようと立ち上がろうとしました。
「ああ、タケ。そのままでいい。俺が行く」
ですが私を制止すると、あの方は立ち上がってささと私の側まで歩み寄って下さいました。
一度布を織り始めたら、私があまり機織りから離れられないのを気遣って下さっているのです。愛しいお方。
「さ、どうかな」
愛しい方の差し出した帯を受け取り、私はまずは軽く眺めました。
黒字の帯に、銀の糸が織り込まれ、六角八角の広がりゆく模様を描いています。
ですが模様などどうでもいいのです。私は帯の縁に触れ、よくよく確かめました。
帯の縁は糸で縫いつけてあり、縫い目が隠されています。そして縁をたどり、裏側に縫い糸を隠せない場所では、布と同じ色の糸を使って縫い目が目立たぬようにしてありました。
「よく、できましたね・・・」
「タケが上手に教えてくれたからだよ」
愛しいお方は、照れくさそうに頬を掻いてらっしゃいました。
「それで、ほかに仕事は?」
内心嬉しいのをごまかすように、愛しい方は早口で訪ねました。
「いえ、今日はもうありません」
「納品も受け取りも?」
「ええ。今日はこれを織りあげたらおしまいです」
私は今まさに織りつつある布を示しながら、愛しい方を見上げました。
「ですから、今日の仕事は私のそばにいることです」
「側にいる?機織りの際は、心を乱さないようにとか、言ってたんじゃなかったっけ?」
「あなたが側にいるだけでは、私の心は乱れません」
そう。私の心は、愛しい方が側にいるだけで、ただほっとするのです。
「それに、あなたが側にいた方が、仕事がはかどります」
愛しい方と、心が乱れるようなことをしたいからでしょうか。
「そうか。じゃあここにいよう」
愛しい方は、私の手から帯を受け取ると、私の斜め後ろに立ちました。
「しばしお待ちを」
私はそう愛しい方に告げてから、機織りに向かいました。

かたん ぱたん かたん ぱたん

縦糸が上下に動き、横糸が左右に滑ります。
一滑りごとに、横糸が模様を織り込み、一織りごとに縦糸が布となっていきます。

かたん ぱたん かたん ぱたん

布の上に描かれているのは、白の地を背景に舞い踊る蝶。
蝶一つ一つの羽の模様は違い、羽ばたき方も違っております。
この布で着物をこしらえ、愛しい方の帯を巻けば、それはそれは映えることでしょう。

かたん ぱたん かたん ぱたん

最後まで織りあげてから、私は手を止めました。
最後に、織り上がった布の模様を確かめますが、一筋とて間違いはありませんでした。
「できたな」
「ええ」
私は愛しい方の言葉に振り向き、小さく頷きました。
「では、片づけるとしようか」
愛しい方は私の後ろに歩み寄り、屈み込みながら続けました。
「糸を掴んだぞ」
「ん・・・」
私は軽く力を込めました。
すると、私の腰の下、黄と黒の縞模様で彩られた大きな蜘蛛腹の先で、横糸を紡ぎ続けていた窄まりが、粘液の塊を吐き出しました。
愛しい方は、塊が床に触れぬよう受け止めつつ、糸を鋏で切りました。
「よし、立っていいぞ」
「ありがとうございます」
私は六本の蜘蛛足に力を込め、台に乗せていた蜘蛛腹を浮かせました。
そして機織りの前を離れると、少しだけ伸びをしました。
「うん、今度もいい出来だ」
私の織りあげた布を確かめながら、愛しい方は頷いて下さいました。
「それでは片づけを・・・」
「いい、いい。今日は疲れただろう。片づけは俺がやっておくから、ゆっくり向こうで休んでいてくれ」
「でも・・・」
私は愛しい方の言葉に、はい、と答えかねました。帯を縫っていた愛しい方
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