久しい巡回も午後分も終え、大蛞蝓をいつもどおりの方法で山側に放り返した後の事。
わたしは昼方一旦家に戻った際に準備していた極々簡素な野菜スープに火を掛け直し、温まった段階で牛腿肉の燻製を薄めに切って投入し、表面に浮く油の色が変わった時を見計らってクリームを足し混ぜる。ふつふつと音が発ち始めた頃合から、鍋からは徐々に芳しい乳白色が昇り始めていく。甘みを帯びた暖気は一日中鈍痛を訴えていた頭に幾許かの余裕を生み、始終張り詰めていた喉元から息の塊が極自然に解れて零れていく。時間と体力に余裕が無い事から随分簡略化した手順によるものだったが、しかしてそれでも栄養満点で体力の回復を考えるには絶好のシチューが完成したのである。
「やびゃあああああああああああああああああああああああああああ」
後に残した事が食器の準備を整えるだけであったというところで、わたしの家の中は外からがちがちと雷に撃たれた樹木が火花を伴って爆ぜる様な炸裂音と、凡そ普段の生活の中では聞く事が無いであろう壮絶な断末魔で木霊した。その大音量は自然と家を軋ませ、棚に閉まってある食器が鈴の如く鳴り始める。わたしはそれらをおどろおどろしく思いながらも聞き流した。
このタイミングで思い切りの良い絶叫が玄関口からしたという事は、恰も今迄を悠然と待ち構えてわたしの動向を図り、ここぞという時に叫び始めた様にも思えた為であった。
「ああああぁぁぁぁぁ」
叫声のボリュームが砂山を崩す様に絞られて遂に途切れると、わたしは黙って鍋の火を落としてゆっくりと肩を回し、依然身体に居座る筋肉のしこりを和らげてから戸口まで向かって歩き出した。
どうやら有翼の魔物というものは、昨晩相対したばかりであろうがその来訪スパンに関係無く、シチューさえあれば家に来るらしい。本日学習した事として日記にでも書き留めて置こうと思う。わたしは、最早これは絶対必然の理だか何だかとしか言い得無い法則めいたものなのだろうと頭を抱えた。そして頭を抱えた序でに、羽根着き少女を家の前に鎮座する切り株から引き擦り離して、グラスに注いだ冷たい井戸水を喉に流し込む。
「いやぁ、ありがとうございます。危なく死んでしまうところでした」
「いやぁじゃねえよ。おまえ本当にいつか死ぬぞ」
それから暫くして目を醒まし、最早定型句と化した言葉を照れくさそうに笑って吐き出した魔物に、わたしは思わず悪態を吐き返した。濡れ羽色の毛髪はちりぢりにパーマされずに相変わらず綺麗なものだが、腕より生える羽毛が発する特別変なにおいにただただ眉を顰めた。この外に満ちる焦げ臭さは熊でも逃げ出す程にたまったものではない。
「昨日焦げてなかったと思うが。まさか一日経ってもう忘れたのか」
「いやあ、昨日は目印があったので」
「目印か」
「はい。真っ赤で小さいポイントでした。危うく踏み潰すところでしたが」
赤頭巾の蛞蝓が目印かと、わたしは予想しつつも首を捻った。
しかしかなりどうでも良い事だろうと思いなおし、疑問を頭の隅から外に放り出す。
「一応訊くけど、おまえ昨日の今日で何か用事があったか」
「え、折角お呼ばれされたんですから来たまでですよ」
「呼んでないが」
「あれれ、そうでしたっけ」
「シチュー作ってただけだが」
「やっぱ呼んでるじゃないですか。あなたのシチューは私の大好物なんですから」
「流石に対岸越えて匂い嗅ぎ付けたとか言わないよな」
「そのまさかですよ」
「ええおい嘘だろ」
「まあまあ」
有翼の魔物はにこやかをもって露骨に話を流し、一見華奢に見える体をわたしの脇から抜けて家の中へと滑って行った。わたしは切り株を一瞥してからぴこぴこ揺れるはねっかえりの強い癖毛を見つつ、続き様に家へ戻って錠を掛けなおす。
わたしは有翼の魔物を定位置である椅子に座らせてから、木皿や安っぽい陶磁器をひとり分多く棚から取り出し、若干片付けたテーブルに並べる。鍋敷を果物缶の山から引っ張り出して、火から上げられ煮立つ直前の鉄鍋をその上に乗せる。湯気が有翼の魔物の備考を擽ったらしく、閉目し恍惚な表情を浮かべて方から下を捩じらせた。ちゅるり舌なめずりをして、わたしの方を上目で見遣る。
「鼻下伸びてるぞ」
「ええ、いただいてもよろしいでしょうか」
「残念だったな。開店準備中だ」
「席に案内してからその言葉ですか」
「待ってろや」
「なんでですか! いけずですね!」
「怒るなよ」
「こんなかわいい美少女捕まえておいてスープ一匙くれないだなんて!」
「おまえ毎回毎度ひとのスープ全部掻っ攫っといて更に欲しがるとか何様のつもりだよ」
「ふふん、聞いて驚いてください」
有翼の魔物は目を閉じたまま息を吸って、吐いた。
一連の動作は悉く胸を強調するもので、わたしは彼女の着る
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