その鬱蒼とした原色に茂る森の傍らに広がっている草原には、ヒトが棲まない。
しかし、奴らはただ棲まないだけではなく、あの汚い口から吐瀉物と相違ない声をもってして、彼の土地のことを憎々しく忌々しそうに喚くことが間々あったりする。
あの草原は野犬の国だ。危険だから近づくな。
確かに凶暴である上に、もしや病に狂っている愚昧な存在だって予想に難くない犬たちの楽園である。ヒトが無数の暴れ犬など、魔法の手を借りず駆逐できる筈もなく、昔からヒトはあの草原への出入りを禁忌と指定していたらしい。かつてはヒトも猛る野心をふるって犬と抗争を繰り広げていたと聞くが、どうにも戦況は振るわなかった様子で撤退を決め込んだという。それでもこの土地に未練を残し、ヒトは草原の周りに国を作り、村を作り、街を作ったのだ。
随分と聞こえの良いそこまでの価値がこの盆地にあるのかというと、古くから禁域とされているためであろうが、そういうわけでもない。危なっかしくて並大抵のヒトが近付けないがために、せめてもの己の支配欲に従い、草原を囲むようにヒトの国を築き上げただけの話である。半ば神聖視されかつ禍々しい場所と見られているだけで中身が何も無い実状は、唾棄のしようも無い程にどうしようも無くつまらないものであった。そしてそれはひとえに、魔物にとっても大した価値の無い場所ということになる。
「...」
だのに、どうしてこんな家がある。
ヒトっ子ひとり見えそうにない場所に、どうしてこんな家がある。
私は低背の葉垣に登り家を眺めた。
彩り豊かな庭には煉瓦積みの花壇や針金細工のラックに咲く大輪に溢れ、そのどれもが原色を主張して容赦なく目を眩ませてくる。外壁は雪のように白く、その青色掛かった影の上には庭で豊かに生ったトマトでさえ真っ青に見えるほど強烈なる赤色の屋根があった。
長く見ていると目が悪くなる気がして、私は陰場を求めて草木を鉄枠に弦ませて出来上がったトンネルをくぐる。プラントアーチとでも言うのか知らないが、薄く降りた影が心地よいものであった。近しいイメージならば凱旋門だが、あれよりはこちらの方がよっぽど体にしっくりくるし、何より埃臭さの代わりに緑の香りで満たされ、快適であるように思える。
「...」
何が凱旋だ、と、私は一人悪づいた。
馬鹿でかくて忌々しいったらありゃしない。あれはヒトがよいそれと作る大きさのものではない筈だ。ああいうヒトの手に余るであろう大きなものを作り上げてしまう無神経さには、ほとほと呆れる他も無い。第一、あそこは私のお気に入りの寝場所であった。せめて一言断りを入れるべきだろうと言うのに、街を作っては好き勝手に建て始めてしまったのだ。何年と生きていると、どうにもヒトに見下されている自分自身にだって嫌になってしまう。元居た場所を奪われてからというものの、ふらふらとし過ぎたかこんな辺鄙な土地にまでやってきて、ああ実にくだらない、くだらない。
「ああ。やはり」
悪趣味な家は大抵にして豪邸と呼ばれるようなものの訳で、そういったところに棲むのは大凡にして平凡とはかけ離れた奇怪なヒトである訳で、そんな滑稽なヒトは大体にして愉快ここに極めけりなるペットがいたり、偏屈なガードがいたりする。私は当然そんなことなど知っていたが、これはやばい。思わず身の毛が逆立ってしまった。
「見つけた」
野性味溢れる狼人の無骨なる爪が、竦んで動けずに居る私の体の毛を掻き分け、直に身体に触れてくる。その爪の何たる冷たいことか。私の爪は私の心に匹敵するかのごとくしっかりと温もりがあるし、そもそも爪というパーツはお洒落に使えるものだ。この狼はどれだけ冷酷で窮屈な心を持っているのだ。などと思いながらも喉は動かず、喉が動いたとしても裂かれたくないので黙っていただろうが、私はその狼に抱きかかえられ、そのまま、家の中に連行された。
敷居を越えると家のにおいが鼻に入るものだ。しかしなががら、悪趣味な外観の割にはきつい香のようなものは炊かれておらず、どうかと言うならば羊毛や甘い綿のように柔らかな雰囲気で包まれている。その鬱屈としない雰囲気のために私はひとまず眉間に皺を寄せずに済み、悪態をつく必要が無いことに喜んでいた。
そうしていたら、向かって行った部屋の中には本当に羊がいたので驚いた。羊といってもその気質がある魔物であったが、なるほど羊の雰囲気には納得がいく。しかし、羊と狼が仲良く共存しているなんて、何とも不思議な家だった。そういえば聞いた事がある。魔に染まったけものは従来の敵対的な性質とは真逆の共生関係を築くものだと、以前どこかの誰かが言っていた。それに準ずるもの達の姿は生まれて此の方初めて見るが、案外にして普通の光景であるのかもしれない。とは言うものの、やはり私
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