昔01 新人盗賊

 頂は遠く、白銀にたなびく雲に黒々と照り返す岩肌が見える。
 登頂制覇上を諦めて数年、降りることに飽きて数十年が経過している。
 この高山での暮らしにも慣れてきた頃である。
 確かに幾らかの不便はある。
 しかし、我慢できないほど私も子供ではなく、問題もその程度のものである。
 時間はあるが、持て余す暇の使い方は自然と覚えていた。
 高知に棲む小動物と対話し、雄大なる大地に賛美しては歌を詠む。
 そして日夜欠かす事無く武芸の稽古に励み、葉から集めた僅かな水で禊を行う。
 また、下界の暮らしを風景として眺めることも、ひとつの楽しみであった。
 昼は点の浅黄や紺が緑に点滅し、時に蟻の様な黒い行列もあった。
 夜は暗く、占星術の小休止に地上の星を眺めた。
 年に三度程、人里の中から大火を見ることも出来た。
 飽く事が決して無い、充実した生活だった。

 それは最早、何年ここに居るかを忘れてしまう程に。





「こいつァ驚いたネェ」

 普段と変わらぬ生活をしていた私が、本来であれば気の付かない筈も無い。
 自然の中の異質感知は、私達の得意分野であった。
 その異質を感じ取れなかったなどとのたまえば、種族の沽券に関わってしまう。
 しかし、私の勘が鈍っていないのであるならばと考える
 そうすると私に対して不意に話しかけてきた彼は、剰りにも自然と共に在った。
 超自然体とでも表現しようか、とにかく気配を絶つ技術には滅法腕の立つ様子である。

「随分と別嬪サンが居たもんだネェ?」

 酷く潰れた喉を労わる様子も無く、無造作に言葉を吐き出す。
 厭世観の漂う声が印象的だった。

「誰」

 この声の主によって、自身ひいては種族のプライドが脅かされている。
 その意識が隠れきれず、私はぶっきらぼうな物言いを男に投げ掛けてしまった。
 しかし、その物言いは男にとって些事として気に留める事ではなかったらしい。
 雰囲気を一切として崩さずに、またもや男は吐き捨てる。

「人間」

 若干の沈黙により、この男が私に対して答えを求めている事に気付く。
 何処か皮肉を楽しむ様に、更に私を倣ってか、彼も端的に切り返してきたのだ。

「それ位は判るわ」
「そう言うアンタは見ないタイプだが、エルフで良いンかネェ」
「だったら、何よ」
「道理で綺麗なワケだァネ」

 臆面も無く、男は口上をもって私を賞賛した。
 しかし、礼で答える必要を感じさせず、私は気怠い空気に言葉を預ける。
 私が無言で居ると、男は布を擦らせてその場に座り込んだらしい。
 男はとってつけた笑顔にシニカルな目を濁らせたような声で唸り、無精髭を指で摩った。
 汗くさく泥くさかったが、どこか高級な香水の香りもする。
 それ以上に、また別のにおいがする。
 そのにおいが、私の鼻に纏わりついて不快にさせる。

「ンで、何しとォネ」

 話に脈絡は無かった。
 ただ彼は訊きたかったのであろう事を私に訊ねてきた。

「貴方にはこれがどう見えるのかしら」
「油で髪の手入れをしてン様に見える」
「判っているなら訊かなくてもいいじゃない」

 私はどうやら忘れてしまったらしい。
 ひととの対話の方法を最後にしたのは、どれほど前のことであっただろうか。
 覚えていない程に昔であったつもりはなかったのだ。
 以前、私はどのように対話を行っていたのか。
 思い出すには時間が開き過ぎたなんて、考えたくなかった。

「にしテもサァ。あんたも辺鄙なトコに棲み腐ってンなァ」

 男ががさつに頭を掻くと、細い金属線が折れた音に近い響きが伴った。
 その頭髪の不潔さと剛毛さが予想できる。
 腰を見れば、きっと旧皮屑が疎らに見えることだろう。

「住み易くて良い場所なのよ」

 男の言い分である、辺鄙な場所というところには納得がいく。
 人間には辛いかもしれない。
 しかし、それはつまりエルフにとっての聖域に成り得る場所だということだ。
 これには何より、その辛さゆえに人が来ないという最大の長所がある。

「エルフゆうたァ魔法ちモン得意と聞いたンがネェ。
 ここラァ結構な標高の割ャア低地の草花ばァかじャ。
 差し詰みァアンタがそーゆー魔法ってモンに長けてッてェとッかァ、ネェ?」

 辺鄙と歌いながらもこの山に現れた異質な男は、独特な訛混じりに喋りだす。
 座り込んだ侭に勝手な講釈を垂れ、私を見つつも視線を感じさせなかった。
 私は髪梳きを終え、櫛を懐に仕舞い、座す岩上に手を置いた。

 そもそも、此奴はどうしてここに現れたのか。
 ここは周辺で最も標高の高い山だ。
 登山するにもちゃんとしたルートがあるし、当然この場所は経路ではない。
 まず、この男がそんな装備をしている様子もない。

「貴方は一体、誰かしら」
「ンン、盗賊サ
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