「随分と威勢がいいのですね」
「そりゃあテメェの寝場所に魔物がいるんだからな」
「これからは私たちの寝場所になります」
金の毛色を持つ魔物が、じりじりとスゴロクに近づいてきた。
部屋が甘い蜜の匂いで満たされ手いる上、これ以上また触れるほどに近づいてしまったら正気を保っていられるかどうか。
スゴロクが猛る。
これは賭けだ。
「小屋に入れた俺が言うのもなんだが、魔物とは言えあんたみたいな美人な娘は殺したくないもんだ」
「じゃあ愛してよ」
「無茶言うな。あんたと一緒になれば絶対虜になっちまう」
「してあげるよ。絶対頑張るから」
「虜にされちまったら俺が人間として生きちゃいられん」
「じゃあ人間辞めましょう」
「名案だ」
魔物が微笑んだ。スゴロクは目をより一層鋭くし、槍を魔物のあごに押し付けた。
すると魔物が身を翻すようにして槍の刃に噛みつき、砕いた。そのまま口の中でゆっくり噛み砕き続け、やがて口をすぼめて吐き捨てる。それは弾丸のように床を抉り取り、部屋に木の焦げた匂いを混ぜた
「鉄は嫌い。痛いから」
「お嬢さんの牙のほうが痛そうだ」
「熊にとっては朝飯前よ」
「ここまで頑丈な熊は聞いた事無いな」
スゴロクは嘆く。熊は熊でも魔物の熊だ。今思えば耳だって温かく、カチューシャなどと言えたものではなかったのだ。
金色の熊は実り豊かな体を山森の中で持て余し、人の匂いを嗅いでやってきたのだろう。そんな飢えた彼女に、鉄を噛み砕く力がある。限りある狭い場所で、機敏さも相手が上だ。装備しているナイフや小刀などは彼女の懐に入ってしか機能しない。
スゴロクは槍の棒で魔物を突き上げるが、彼女はびくともしない。片手のひらだけで槍を小枝のように折った。その拍子に、掌から蜜のような血が滴り落ちる。
「山の幸だけじゃもう我慢できない。蜜だけじゃ物足りない」
少女は紅潮に染まり、全身から魔物の気力というべきか、得体の知れない陽炎が立ち昇る。
スゴロクは無意識のうちに後ずさりし、気付けば窓に背を向けていた。これをチャンスとばかりにガラスを破り、地面へと転落する。
僅かな滞空時間の間にバランスを崩し、土の上の苔に滑り、背中を思い切り打ちつけ、蹴破ったガラスの破片が尻に刺さる。
庭師が上を見ると、窓から魔物が勢いよく顔を出した瞬間であった。
「大丈夫?」
その質問に答える間もなく、スゴロクは屋敷の門に向かって走る。
門にはガーディアンも待機している筈だという判断である。
背中が徐々に液体で冷えていく感覚、自分の血が流れ出ている事が判った。
それでもスゴロクは走った。
走る事で甘い感覚も僅かに消えていくと感じた。
門が徐々に近づく一方、後ろから熊が軽い走りで追って来ている。
石造りの門を見ると、影に何かある。
「何だコレ」
大きな斧と鋼鉄の槍が、そこにいるはずのガーディアンの代わりにあった。
何故ガーディアンがいない。
スゴロクは疑問を口に出しながらも、そのことを探求する余裕を失っていた。
「このお家の人の子供が居なくなったんだってさ」
庭師が激しく上下する肩を震わせ、後ろの少女の声を聞く。振り向けない。
いつの間に追いついたのかという疑問すら恐怖で塗り固められた。
しかし気を奮い立たせ、会話をしようと試みる。
「子供・・・ジムか」
「門番さんも捜索に駆り出されるなんて、相当に大事な子供なんでしょうね」
「熊だからって食べてないだろうな」
「私は興味ないわ。あなた以外」
「勘弁してくれ」
庭師は門の下にある武器を見る。
大斧はスゴロクの体躯に合わず、扱いきれない。
槍なら多少重くても広い場所であるし、何とか扱えるだろう。
スゴロクは屈んで槍を取り、振る。後方に回す。
しかしそこに少女は居ない。スゴロクは上を見るが、そこに居るわけでもない。
魔物はスゴロクの後ろを取り続けていただけだ。
「怖がらないで」
「無茶言え」
スゴロクが前に転がり込もうとしたところに、大斧が構えられた。
ぎょっとしてその柄の方を見ると、熊が片手で持っているようだった。
魔物の怪力に改めて仰天しつつ、その下を潜り抜ける。
しかし、スゴロクの起き上がったところを熊が捕らえた。
熊はスゴロクの顔の間近に腕を伸ばし、蜜の空気を浴びさせる。
「怖がらないで」
再び強烈な甘い空気が庭師を取り包み、囲い、思考停止の檻から抜け出せなくなる。
彼女は動けなくなったスゴロクの背面に刺さる枝やガラス片などを抜き、蜜を塗りたくっていった。
愛しそうに撫で、あれだけ走っても息切れ一つさせられない事に絶望した。
その拍子に、鉄槍が大きく音を立てて地に落ちる。
「大丈夫。蜜には殺菌効果とか、いっぱい体にいいんだよ」
彼女は庭師の身を案じていた。
思えば自分が木屋に引き入れ、自分が寝場所を与
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