チャプター1

「気絶……するな……気絶するなよ……」
自身の身体を包む青白い光と、その光とは交わる事のない暗闇が織り交ぜられた空間を睨みながら、羽倉は譫言のように自身に言い聞かせる言葉を呟いていた。
羽倉が今いる空間は転送魔法によって移動する際に通る、いわば時空の隙間だ。
通過する時間はわずか数秒だが、耐えがたい時間ほど体感では長く感じられるのは、人から魔物へ変じた後も変わりない。
やがて暗闇の中、ぽっかりと明るい点が視界に写り、それが見る間に近づいてくる。羽倉は軋む体を動かして体勢を整え、自身の身体を包む青白い光と同じ色の円の中へ足先から飛び込んだ。
光を抜けてすぐ、見慣れた部屋の風景が視界に映る。
どうやら転送は成功したらしいと安堵したのも束の間、
グシャ!!
「ん?!」
着地した場所から伝わる感触と部屋の風景に違和感を覚えた。
床であるはずの足元からは妙な弾力と硬さ、何かを踏み潰したらしい嫌な音が響き、視界にしても、天井にあるはずの照明が右に、磨き上げられた床が左に見えている。
(ああ……)
疲れ切った思考回路が事態を把握したのは、無情にも万有引力が発揮された後だった。
羽倉の体は、空間にとっての下へ向かって引っ張られ、左半身が硬質な床に強かに打ち付けられる。
その上、一拍遅れて羽倉が着地した際の衝撃で本棚に満載されていた分厚い医学書の群れが降り注いできた。
硬く、冷たく、痛い。
羽倉はその感触で、今の自分が何も身に付けていない、裸の状態であることを思い出した。
リルアードとの戦闘と転送魔法とで魔力を使い果たし、具現化していた服とマントは消失している。術が解ければ元通りになるはずの白衣も、黒焦げになったときに破り捨ててしまった。
「あっ、う、おぉ……」
購入すると高価な医学書は、その価値を証明するかのように重い。
その重さ故に鈍器と化した本の一撃はなかなかの威力で、羽倉は短く地味な悲鳴を漏らす。
魔力はおろか、もはや叫ぶ体力も気力も残ってはいない。
元来、リッチである羽倉は豊富な魔力を備え、それによって充実した体力、気力を維持できる。
しかし、先ほどの戦闘で使用した、教団の新兵装に対抗するために開発した魔術は未だ研究途上のものだ。魔物の体内に取り込んだ男性の精を、魔物自身の魔力に侵食されないよう特殊な結界で包み、かつ、戦う相手や物質に影響を与える瞬間にのみ結界を解除して、術としての効果を発現させる。一つの効果を得るために何重もの術を同時発動する必要があり、言ってしまえば非常に燃費が悪い。その上、魔力濃度が低い現世ばかりに身を置いる羽倉は魔力の回復も遅くなる。いかにリッチといえど、魔力が有限である以上は枯渇することは必然といえた。
通常は床に着地するはずの出口が歪んだのも、魔力の出力が不安定だったからだろう。
(まぁ、突っ込んだのが窓でなかっただけ良しとしよう……)
羽倉は体にのしかかる医学書を床に放りながらよろよろと立ち上がると、備え付けの椅子に勢いよく座り込み、首を後ろに倒して深い息を吐いた。
「はぁ〜……」
その挙動と呼吸の勢いで豊かな乳房がゆさゆさ揺れるのが、今は些か鬱陶しい。
文字通り一息ついた後、顔を上向けたまま右手を伸ばしてデスクの一番上の引き出しを開けた。
半ば祈るような気持ちで首を下に向け、その中を確かめる。
「良し……」
安堵した羽倉の視線の先、引き出しの中には先ほど脱出した研究施設で最初に見つけたDVD3枚のうちの1枚が収まっていた。
転送の軸がブレれば破損する可能性もあると踏んで、少ない魔力でも最大限度の転送精度を保てるよう1枚だけを転送した。
(即座に転送したのは正解だったな)
現に施設のあった教会を出て直ぐにメアリとの戦闘に突入し、予想以上の消耗を強いられ、事が終わった今では回収するつもりだった情報源の全てが爆発で失われてしまったはずだ。
唯一、手に入ったDVD。
銘打たれているとおりの内容がこのディスクに収められているとすれば、痛い目を見た分の対価として十分な収穫と言える。
羽倉にとっては何よりも優先する情報。
それは同時に、今すぐ逃げ出したいほど見たくない情報でもあった。
「……」
それでも。
羽倉は体調が回復するのを待つ間も惜しんで、ディスクをケースから取り出し、起動したパソコンに差し込んで再生する。
読み込み中のアナウンスが表示された画面を、椅子のリクライニングを起こして正面から睨む。
数秒のノイズ音と砂嵐が映った後、<それ>は始まった。



「記録開始いいか?」
「はい!」
落ち着いた調子の、妙齢の女性の問いかけが第一声。
次いで若い女性のやや上擦った声が響いた。
アスファルトに向けられていたカメラの向きがスライドし、調子を確かめるかのようにぐるりと周囲を映した。
その中には、現世にある住宅街らし
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