証明

静波病院が[迷いやすい]ことで有名となったのには理由がある。
ひとつは、通常の病院設備に加え、医療に関する様々な研究機関が多く併設された結果、最先端の高い医療技術と引き換えに広く複雑な構造をしていること。
もうひとつは、社会的には存在しないことになっている魔物とその伴侶となった人のための医療・研究機関が建物内に複数存在し、それらが魔術によって隠匿されているためだ。迷いやすさの主な原因はやはり後者である。
考え事をしていても、それが通いなれた道であれば知らぬうちに目的地に着いていることは誰しもある。その通常は無意識に行われる空間の把握と距離感、それらを魔術によって阻害されてしまうせいで、目的の場所に向かっているつもりが知らぬうちに別の場所に誘導されたり、道を誤ったりしてしまうのだ。
一人や二人ならともかく病院内の大多数の人間が体感する異常な現象は、いつしか学校の怪談ならぬ静波の怪談として噂されるようになり、入院患者や職員にとって中々に迷惑な状況となっている。

その元凶を作り上げた主な人物の一人、羽倉美鈴は、
「ふうぅ〜……」
自身に割り当てられている部屋の扉を開けてすぐに壁に寄りかかり、深く長いため息をついた。
無理もないと言えばそうだろう。
魔物化の後遺症で容態が悪化した史郎を治療し、次いで保護した魔物娘に魔力回復と教団によって施された魔術の解除措置を行い、最後に教団の男から情報を聞き出し、体力を回復させた後に本人が望んだ任意の
lt;あちら側
gt;の座標に転送する。
それを単身、二日間でしてのけたのだ。静波病院では医院長の計らいもあり客員として在席しているため業務に支障はないのだが、いかに羽倉が魔物娘の中でも随一の頭脳と技術を持つリッチといえど、体力・精神的な疲労の蓄積は避けられなかった。

(せめて私にいい人がいたら、疲れなんて忘れられるのだろうがな)
思わず、内心で在りもしない幻想を浮かべてみる。
最も親しく、最も遠い、あの少年と私が……笑って……。
しかし。
「はあぁ〜」
現実には、もうひとつため息がついて出てきただけだった。
(まあ、今回は収穫もあったし良しとしようか)
意気消沈気味の自身を慰めるように弁明して、史郎の部屋へ向かって歩き始める。転送の魔術を使えば誰にも気づかれず一瞬で移動することも可能だが、誰にも気づかれないというのもまた不自然なものだ。
途中、幾人かの患者や看護師たちと挨拶を交わしながら羽倉は手元の資料を眺めていた。一見すれば通常のカルテのようだが、中身は教団の男が持っていたメモだ。用紙にはアルファベットと数字の組み合わせで構成された文字列がビッシリと書き込まれていて、その一つ一つが教団の実験台とされていた魔物娘を表しているらしい。
男の受けた任務は実験施設の事故によって逃げ出した実験体を回収する事だった。聞き出した内容が本当ならチェックの入っているものは既に教団の手に捕らわれていることとなり、その数は十数体。
全体からすれば一割にも満たないが、再度捕らえられた者への処遇は当初よりも厳しいものであることは容易に推察できる。
早急な対応が必要となるが、男が知らされているのは行き帰りの転送に使用する座標のみで、回収された実験体の収容場所までは知らないとのことだった。

現に先ほど転送魔法を使いメモに記されている座標へ飛んでみたが、転送場所はすでに廃墟となった町の一角で何の手がかりも得られそうになかった。おそらくは当初から敵側に知られても問題のない場所を選定していたのだろう。
徹底された手順を見るに、この計画自体が教団連中にとってかなりの肝入りなのか、あるいは
(発案者がよほど周到な人物か…)
何もないよりはましだが、得られた情報のいずれもが不確定すぎる。
羽倉は止むことのない思案にふけるうち史郎の部屋の前に到着した。
開いていた資料を閉じ、いつも通り3度、扉をノックする。
「はい、どうぞ」
聞こえた返事も、いつも通り、のはずだが
(ん?)
羽倉の胸を自身でも解らない違和感がよぎった。
「失礼するよ」
気のせいかとも思ったそれが、入室した途端に確信へと変わる。
風に吹かれて踊る白いカーテンを背景にベッドから半身を起こした史郎がいつになく<晴れやかな表情>をしていたからだ。
羽倉は違和感に気付きながらもそれらしい素振りも見せず
「もう起きて大丈夫なのか、体調は?」
訊きながら聴診器や血圧計を手早く準備していく。
「ええ、思いのほか良いようです」
対する史郎も簡素な返答を返しつつ病院着をまくり上げ、胸部、腹部を医師の前に晒す。恥ずかしげもなく眼前に広げられた白く眩しい柔肌に羽倉の動きが一瞬止まる。が、自制をもって表情を変えることもなく検査を再開する。
史郎にしてみれば今の状況は医療行為の一環に過ぎずなんの
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