その空間には、闇しかなかった。時刻はまだ逢魔が時だというのに、そこは夜よりも暗かった。
だが、
『――聞こえる?』
一箇所だけ、暗闇から切り取られたような、ハッキリと存在を表す銀色があった。
「はい、良好です。こうしてお話しするのは二年ぶりでしょうか」
銀の光を纏った髪と、黒銀色の鎧を纏った女性は無間の空間の中、ただ一人虚空に向かって言葉を送っていた。
『私たちにとっては一瞬に等しい時間よね。愛し合っているだけでお日様が三周しているなんてよくあるらしいもの♪』
彼女は右手に白い水晶球を握っていた。時折それは輝き、彼女の心に直接言葉が届く。
「お嬢様には、感謝してもしきれません。人の身に縛られ、大事なものが見えていなかった私を救い出して頂いただけでなく、何物にも変えがたい幸せを――」
『堅苦しいわねー。貴女はいつもそう。たまには羽目を外して話せないの?』
「申し訳ありません、これが性分ですので」
それに、
「羽目を外すのは、夫の前だけと決めております。例えお嬢様であろうと、そのご命令は聞けません」
至極真面目に黒銀の騎士は答えた。
『ふふっ、分かってるわよ。本当に、充実した生活、いえ、性活を送っているようね♪』
「おかげ様です。夫共々感謝の極みでございます。――それで、何か御用があってお呼びになられたのでしょう?」
『ええ。次の侵攻先が決まったのよ』
侵攻、という事は侵略行為だ。
人間たちにとって侵略行為は、大きく三つに分けられる。
山賊や海賊によるもの。
敵国の軍によるもの。
そして、魔物の軍によるもの。
三つとも理由は違えど、その地に暮らす市民にとってすれば、どれも忌避すべきものだろう。
『貴女は確か、この国出身だったわよね。ひょっとすると。生前の貴女に憧れた子とかが頑張って教団兵になった、なんて事があるかもしれないわね』
言葉と同時に、騎士の頭にはある国の光景と、情報が送られた。
「――アルカトラ、ですか」
『ええ。昨日入団式を終えたばかりだから、まだ初々しい子が沢山居るのでしょうね♪』
「お嬢様。一つ、よろしいですか?」
騎士の中に、取り留めない質問が浮かび上がった。その質問に対する返答は、握った水晶球を通して意識を繋げているからだろう。問う前に答えは返ってきた。
『悩みを抱えてる人がいっぱい居る、っていう理由があるのだけれど、それ以上に私的な理由があってね』
それが、
『昨日入団式を迎えたばかりの子が、たった一人でカシェー山のソーニャと戦い、角を折って撃退したのよ』
「ソーニャと言えば、オーガではありませんか。彼女を相手に、新兵がですか?」
耳を疑う事を聞いた。
いつもの冗談だろう、と騎士は思ったが、水晶球を通じて伝わる声は真剣そのもので、続けて言葉を紡いでいく。
『そう。それも、十八年しか生きていない女の子が真正面から、命を賭けてよ?』
ありえない、と騎士は思った。
人間とオーガのような魔物には、圧倒的な力の差がある。正しく計測した事がないのでハッキリとは言えないが、丸太のような腕を持ち、力自慢で名が通っているような怪力の男ですら、オーガの指一本による結果に劣るだろう。
そんな魔物を相手にする場合、撃退するにはかなりの苦難が存在する。普通ならば罠や仲間との協力で対峙する所を、話に出て来た少女は正面から一人で戦った。
それがどれだけ辛く、苦しい事か。騎士はそれをよく知っているからこそ、逆に不思議がったのだ。
『――気にならない?』
頭に響く声に、嬉々とした物が混じり始めた。
『それだけの力を持った理由。私はその子の本心が知りたいの。きっと、ううん。絶対に真っ直ぐで良い子だと思うのよ♪』
「その為に、彼女が住む国を襲うと?」
『駄目?』
唐突に、弱々しく、かつ子供が欲しい物をねだるかのような声で問われた。
「――いえ、きっとその少女にとって良い結果になるかと」
『うん! 絶対悦んでもらう為に頑張るね♪』
声色から話し相手が、跳ね飛ぶほど喜んでいるのが分かる。
『それじゃ、決行は三日後の深夜よ! 作戦は――』
人外の会談は、完全に日が落ちるまで続いた。
少しずつ、だが確実にアルカトラへ黒い影が忍び寄っていた。
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