第十六話 激戦にて/姉役のターン

 とんでもない命令を下した上司に対して、今までアタシは文句こそ言えども、本気でブン殴ろうと思った事はない。無茶苦茶としか言えない仕事でも、アタシたちは所詮分隊だから、最低限生きて帰還すれば任務は達成扱いになる。
 だから面倒と思っても、怒りや腹立たしさを感じた事はない。
 しかし、今回ばかりは責任者出てきなさい。頭頂にリンゴ置いて魔力付与された矢でブチ抜いてあげるから。泣きながらアタシたちに休暇とボーナス出しなさい。

「な、あ」

 動かない。身体が動く事を忘れて、目の前に迫り来る確実な死を、ただ見ている事しかできない。まだ10歩分くらい距離があるにもかかわらず、夏の日差しを何百倍にしたかのような、肌を焼く熱が、近づいてきているのに。

「――くっ!」

 視界の隅で、ハミルが不自然な挙動と共に動き始めた。
奴は常日頃から、私にはよく分からない魔術的な実験をしている。昨日も日中にキッチンで怪しげな踊りを踊っていて、

「これじゃない、これじゃないんですよ!」

 とか奇声を上げていた事を憶えている。
 だが、奴が作る物には何度も助けられた経験もあり、

「こんな事もあろうかと!」

 と、普段の落ち着いた雰囲気は何処へやら、妙なテンションで怪しげな魔法や道具を使って事態を回避したりするのだ。おそらく今回も、それに類する何かだろう。

「大気よ! 全てを受け流す鋭き壁となり、我らを護れ!」

 ハミルを先頭にしたアタシたちの眼前に、周囲の空気が集まり、形を成した。それと同時に熱が、灼熱の炎が到達し、完成したばかりの障壁の前で二股に分かれたのだ。

「ぐ、お、ああ、ああああっ!」

 確かに、盾は平面よりも円形といった中央から外側に掛けて盛り上がる形になっている方が、受ける力を分散出来て便利だ。並の魔法ならば殆ど消費もなく切り抜けられる。
 だが、この炎は並どころか、アタシたちの想像を遥かに超えたものだった。受け流している筈のハミルの腕が徐々に焼け始め、奴の袖が燃え始める。苦しげに呻くハミルを、そしてこの部屋に潜む、火を噴く『怪物』に威圧され、ただ見ている事しかできないアタシたちをあざ笑うかのように炎はより一層強さを増したのだ。

「はぁ、は、はぁ、はぁ、は」

 だが、それでもハミルは耐えきった。両腕に受けた火傷の所為で皮膚が爛れ、熱気の残るその場に崩れ落ちてしまうが、誰一人死んではいなかった。

「ほほう、あれを防ぎきるとは、やるな人間」

 この、数千人が入る教団の大聖堂と同等の広さを持つ空間においてもハッキリと聞こえる、威圧感に満ちた重い声。その持ち主が、件の怪物。こいつの呻き声が廃坑に響き渡り、外を通った人の耳に入ったのだろう。
 アタシたちとは存在そのものの位が違う、桁違いの存在感。首は動かないので視線だけ動かし、姿だけでも拝もうとする。
 深紅の巨体に、アタシの身体の5倍はありそうな皮膜の翼。体中が鱗に覆われていて、前足、後足のどちらにも重硬で鋭利な爪を備えている。
 金色の瞳の中の瞳孔は縦に開いており、口の端を釣り上げる様は笑っているつもりなのか。口の隙間から見える牙が何とも恐ろしげだ。

 ――ドラゴン、か……。

 『地上の王者』と称される、魔物の中でも最上位の存在。伝記や物語によく現れ、強靭な身体は刃を通さず、全てをその燃え盛る吐息で焼き尽くすという、最強の敵として描かれる伝説上の存在。
 それが今、アタシたちの目の前にいる。

 ――アタシの人生もこれで終わりとはね……。短い人生だったわ。

 動けない事が幸いとして、諦めてもエリアスに怒られる事はない。強いて言うなら、あの子、シャーランたちが戻って来た時に迎えてあげられない事が心残りと思う。

「――だが、防ぐだけで全力を使ってしまったようだな」

 先ほどまでの声色から打って変わり、興味を失った声がアタシたちに降り注いだ。だけど、アタシたちは震えたまま、誰一人として動く事は出来なかった。生物としての本能が、抵抗は無駄、と言っているようで悲しくなる。

「貴様たちも、凡百の兵と同じか……」

 ガッカリした声と共に、ドラゴンは周囲の大気を吸い込み始めた。

 ――今度こそ、アタシたちは丸焼きねぇ。いや、炭も残らないかしら?

 もう駄目だ、と思うと案外気が楽になるもので、悲観的になりながらどうでもいい事を考え始める。そんな中で、アタシは再びあの二人の顔を思い出した。

 ――二人が協力して、この危機を助けに来てくれるとか。……ないわー。

 ありえない、というか想像がつかない。堅物乙女と適当女。どう考えても喧嘩ばかりしてるだろう。
 だからそんな夢見がちな妄想をしていないで現実を見よう。
 そう思った。
 けれど、信仰心の薄いアタシでも、どうやら主神様は
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