ある休日の朝。
俺は台所で洗い物をしていた。休みだというのに仕事に出かけた両親に代わって朝食の後始末を済ませていたのだ。それ自体は別段珍しいことではない。共働きの親を持てば、こういったことは自然と身についてしまうものだ。
珍しいというのは、今こうして目の前で繰り広げられている光景のことを言うのだろう。
「ぱりぱり、ぱりぱり」
人間の子供くらいの大きさの芋虫がソファーに寝そべっている。少女の面影を残した顔の下に芋虫の身体がくっついている様は、虫が苦手な人間が見たら叫んで逃げ出してしまうかもしれない。
「あむあむ、うまうま」
そいつはきゃべつを抱えてながら、まるで他のものが目に入らないかのように貪っていた。辺りに食べかすが零れ落ちるのも構わずに、歯ごたえのいい音を立てながらそれを消化していく。
「しゃくしゃく、もぐもぐ」
そいつは『グリーンワーム』と呼ばれる魔物娘だ。野菜や果実を好んで食べるそいつは、他の魔物娘とは違い男性にそこまで関心を抱かないらしい。
ひょんなことから同じ屋根の下で魔物娘と暮らすことになってしまった。人間の大きさを持ちながら異形の姿を取る者が多い魔物娘だが、グリーンワームを前にしていつもの態度を崩さなかった両親は偉大だと言えよう。
「あぐあぐ、ぼりぼり」
で、俺はというと。
正直我慢ができなくなっていた。
「けふぃ、ごちそーさまでしたー……ねーおにーちゃーん。おかわり、ちょーだーい」
「いい加減にしろい!」
洗剤の泡をつけたまま、おもむろに近くの果物かごから手にしたブツを投擲する。放たれた真っ赤な弾丸は狙い過たずにグリーンワームへと飛んでいき、
「わぉ、りんごだぁ! いただきまぁす
#9825;」
両手でしっかりと受け止められ、そのまま口の中へと吸い込まれていった。
「がじがじ……おにいちゃん、これ、まだ熟してないよぅ、おいしくない」
ぶち、と頭の中で何かが切れる音がした。
流しの水を止めてずかずかとグリーンワームに近寄る。そいつは手にしたりんごに愚痴りながらも食べる手を止めようとはしなかった。ぼりぼりと鈍い音が部屋に響き、寝そべっているソファーが果汁で汚れていく。
「次はもうちょっと甘ーい奴を……ふびゅっ」
厚かましい要求を紡ごうとした口を、左右から手で挟み込むことで塞いだ。頬の中に先のきゃべつやりんごが残っていたのだろうか、縦長に開いた口には半固形状の物体がみっちりと詰まっていた。
「お ま え は! いつまで食べてるつもりだ!」
こみ上げてくる怒りに身を任せた俺は、すっかり堕落した妹に向けて罵声を浴びせるのだった。
§
数分後。
妹だったものを引きずり降ろして床に座らせる。ソファーの上は食べかすやら汁やらでべたべたになっていた。床に降りまいと抵抗した妹が足を突き立てたせいで生まれた爪痕も加わってすっかり無残な姿を晒している。
「なあ、お兄ちゃんがなんで怒ってるか分かるか?」
「(ふるふる)」
肝心の妹は首を横に振るばかりで何も答えない。そのくせ口と喉はしっかりと動いて順調に胃袋へと食料を流し込んでいく。悪びれるどころか無表情でそんなことをしてのける妹を前に、こちらの苛立ちはますます募っていくばかりだ。
「じゃあ聞くがな、お前は朝ごはんの後にきゃべつをいくつ食べた?」
「えーっと、たしか、にまいだよ?」
「そうだな、二枚だな――ってそんな訳あるか! 二玉だ、ふ た た ま!」
「むぎゅぅ」
言葉と共にもう一度口を左右から塞ぐ。見方によってはキスを待つような顔に見えなくもないが、相手は妹で悪戯に食料を浪費する家計の敵だ。そんなのにキスをする必要はない。
「朝からずーっとばりぼり! 飽きもせずにばりぼり! ソファーの上でもベッドの上でもトイレの中でもお風呂の中でも廊下を歩きながらもばりぼりばりぼり! 誰が掃除すると思ってるんだ!」
「ふぉひいひゃん(おにいちゃん)」
「こっの野郎、悪びれねえな……!」
ぐりぐりと左右から圧力をかける。もちもちした肌はこちらの手の中で面白いようにその形を変えた。それでも腹の虫がおさまることはなく、指先で頬を摘んで思いっきり引っ張った。
「いいか、お前がどうしてそうなったのかは知らんし知る気もない。だがな、せめて俺や父さん母さんに迷惑はかけないようにしろよな」
「ひゃい、ふぁふぁっひゃよふぉひいひゃん(はぁい、わかったよおにいちゃん)」
「よし。――それじゃあもう一度今言った言葉を言ってみろ」
「これからはおとうさんおかあさんにはめいわくかけません」
「俺は!? 俺の存在はどこいった!?」
「おにいちゃんはべつばら……むぎゅう」
心底嬉しくない扱いを受けた仕返しとばかりにも
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