瞳を見つめて

「はっ……はあっ……!」

 暗闇の中をただひたすら走っていた。時折足に触れる木の枝の感触が、ここが森の中だということを教えてくれる唯一の情報だった。
 すでに右も左も分からない。手にした荷物はいつ捨ててしまったのかも覚えてない。そもそも、いつからこうして走っているのかさえあやふやなのだ。

――そんな有様でどうするつもり? 一度足を止めて休んじゃおう?

 不意に脳裏に言葉が浮かび足を止める。だがそれも僅かな時の間だけで、次の瞬間には再び足を前に動かしていた。
 体中の筋肉が悲鳴をあげる。荒い呼気をしているにも関わらず、肺に酸素が入っていかない気さえする。手足が鉛のように重くなり、もうこれ以上動けないと言外に告げているようだ。

 それでも足を止める訳にはいかない。

「くっ……はっ……げほっ、ぐっ……はぁ、はっ……!」

 口内に生まれた痰を吐き捨て、体に鞭を打ち続ける。どうにかしてここから離れなければならないのだ。
 自分が何処にいるか、何処に向かっているのかすら分かっていない。なにせ目の前の景色は闇に呑まれ黒く塗りつぶされてしまっているのだ。今まで木にぶつからなかったことさえ奇跡だろう。最早無謀を通り越して自殺とも思えるような行為ではあるが、それを止めることはできなかった。

 まるで、誰かに操られているかのように。

「――ッ!!」

 幾度か向けられた忌まわしい視線を感じ、そちらに目を向ける。そこには不気味に金色に輝く二つの目があった。夜の闇の中でもはっきりと存在を主張しているそれは、遥か高みからこちらの様子を窺っていた。

 まただ。
 あの目だ。

 あの目に見つめられると背筋に悪寒が走る。目の持ち主の輪郭さえ分からないはずなのに、その瞳にはこちらを狙う捕食者の光が宿っているように思えるのだ。

 あれに捕まったら、お終いだ。

 恐怖に支配された思考は、視線から逃げるように体に働きかける。限界をとうに超えているはずの体を無理矢理に動かして、闇の中を飛ぶように駆け抜ける。

――無駄だよ。このまま逃げ切れると思ってるの?
「黙れ……っ!」

 頭の中に浮かぶ言葉をかき消すために毒づいた言葉は、誰に聞かれることもなく闇の中に吸い込まれていった。自分の中に生まれた悪い考えを振り払うように、大きく足を踏み出そうとして――

――だったらしょうがない。それに、そろそろ頃合いだもの。
「なにっ……ぐあッ!?」

 音もなく降りてきた『それ』に背中を捕えられてしまった。体勢を崩した体は勢いのまま前に放り出され、地面に叩きつけられてしまう。その動きが止まると、全身に擦過傷の痛みと背中に圧し掛かる襲撃者の重みがはっきりと伝わってきた。

「くそっ、離せっ、はなせよっ……!」
――だめだよ。ここまでお膳立てしたんだもの、逃がさないよ。
「お膳立てだって……?」

 違和感を覚える言葉を受けて暴れる手を止める。すると、背中の重みがなくなったと同時に体をひっくり返された。しかし自由になったのはほんの僅かな時間だけで、すぐさま脚部に重みが加わる。柔らかい何かが――鳥の羽根だろうか――体中を弄る感触がした。

「――痛っ」
――怪我させちゃった。ごめん、そんなつもりじゃなかったの。

 せめて襲撃者の姿だけでも見ようと顔を上げたが、相変わらず見えるのは金色の双眸だけだった。どうやらこちらの体を見ているようで、瞳孔は下に下がっていた。

――ほんとは手荒な真似はしたくなかったんだよ。悪く思わないでね。

 こちらに向けられたそれは喰らう者の目。
 お膳立て、という言葉。
 間違いない、こいつは狩人だ。獲物が疲れ果てたところを見計らって捕らえる夜の狩人なのだ、初めから逃げられるはずなんてなかったのだ。
 
「……俺を、食べるのか?」

 そう理解した瞬間、震えた声が口から洩れてしまっていた。
 そんな情けない俺に対し、襲撃者ははいともいいえとも答えなかった。もしかしたら身振りで所作を示したかもしれないが、夜目の利かない状態では分かるはずもなかった。

「た、頼む、命だけは……」

 死にたくない一心で命乞いをする。とはいえ恐怖と疲労で舌が回らず、尻切れになった言葉しか出せなかった。

――キミ、何か誤解してない?
「誤解……?」

 誤解だって? こいつは一体何を考えているんだ?

――確かに私は君を追いかけて、そして疲れて動けなくなるまで追い込んだ。だけど、それはキミを殺すためじゃない。
「だったら、どうして……?」
――その前に、私の目をよく見てほしい。

 言われるまま襲撃者の目を見つめる。金色の目は近くで見ると宝石のように美しく見えた。しかし、辺りが見えない暗闇の中で光る二つの目は不気味さの方が強く醸し出されていた。

――そう、そ
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