夜空に溶けるながれぼし

 夜のオフィス街。会社のビルの屋上から空を見上げても、雲りがかった空からは星一つ望めない。代わりに見えるのは一面に広がる高層ビルと、その窓からぽつぽつ漏れる灯りだけ。
 仮に流れ星が降ったとしても願い事をする歳でもなければ、願い事をかける相手もいないのだが。

「さすがに冷えるな」

 夜風が吹き抜ける。眠気はわずかに覚めたが、それ以上に冷えこみが辛い。終わらない仕事に付きまとう陰鬱な気分を変えようと外に出たが、どうも逆効果だったようだ。
 一服したらとっとと戻るか。
 手にした缶コーヒーに口をつけ、苦みのある液体を飲み下し、

「なあなあおっちゃん、なに飲んでんだ? ──わぎゃっ!?」

 ひょっこり現れたそいつの顔に勢いよくぶちまけた。





§





「ぺっぺっ、苦ぇ……いきなりこの仕打ちはねぇんじゃねえの?」
「声をかけられるなんて思わなかったから驚いたんだよ、本当にすまなかった」

 乱入者の正体は女性だった。短く切り揃えられた黒い髪が似合う、やたら露出の多いスレンダーな少女。見覚えはないが、どうやってここに入り込んだのだろうか。

「君、これで顔を拭くといい……っ!?」

 ハンカチを渡そうとしてぎょっとする。彼女には腕がない。いや、腕だけではなく、ふとももからその先すらもなかった。片輪どころの話ではない。これでは歩くことさえままならないはずだ。

「おぉ、さんきゅ」

 だというのに差しだしたハンカチは音もなく浮き上がると、意思があるかのように彼女の顔を拭い始めたのだ。
 彼女は何者か幽霊なのか、何故ハンカチが浮くのか超能力か。ひょっとしてこれは夢で、デスクで寝落ちしてるだけじゃないのか。
 現実味のない光景に混乱し呆然とするこちらをよそに、少女は飛沫の処理を済ませていく。顔を拭き終わり、わずかな着衣の胸元へ移ったところで、

「「あっ」」

 ハンカチが宙を舞い、バサリと聞きなれぬ音がした。ひらひら揺れ落ちる白い布を前にあたふた右往左往する少女。その様を見てようやく気づく。

「鳥の羽……?」

 夜の闇に溶けこむような漆黒の、それこそ目を凝らさなければ見落としてしまいそうな。人間の大きさに見合った翼があった。
 扱いに不慣れなのだろうか、少女が翼をはためかせても、布切れは空を扇いでは浮き上がり、挟んだかと思えば間をすり抜けていく。
 これは夢だ。どうせ夢なら、この光景を覚えておくのも面白いかもしれない。少女と翼とハンカチのワルツは酒の肴くらいにはなるだろう。

「おっちゃん、取ってとって……わぶっ」

 バランスを崩した少女が倒れこんできた。とっさに体で受け止める。抱きかかえようと伸ばした両手は、彼女の翼に埋もれる形となった。温かく、やわらかい。高級な羽毛布団を思わせる手触りと感触だ。このまま埋もれていたいが別の感触がそれを許さない。

「へへ、悪ぃなおっちゃん。あんがとな」
「ど、どういたしまして……」

 屈託のない笑みで見上げている少女の視線が痛い。彼女は意識していないようだが、こちらは倒れこんできた相手を正面から支えている訳で。
 夢じゃなかったというか、こじんまりとしたマシュマロといいますか。

「た、立てるかな?」
「おう、へーきへーき」

 あーやっぱ慣れないとだめだなー、と人の気もしらずぼやく少女が、早く自分から離れてくれることを願った。
 事案だろう、これは。例え彼女にその気がなくとも、他人が見たらどう思うやら。しかもここは職場の屋上だ。万が一同僚に見られでもしたら二度と職場の敷居を跨げない。

「なあなあおっちゃん、ちょっと頼みがあるんだけど」
「な、なんだい?」
「あたし胸のとこ拭き損ねててさ、拭いてくんない?」

 ここ拭いて、とばかりに該当箇所を見せつけ押し付けてくる少女に根負けせざるを得ませんでしたとさ。邪な気持ちはありませんでしたと証言しても信じてもらえないだろうなあ、と。
 誰にも目撃されなかったのはせめてもの幸いだったのかもしれない。





§





「あんがとなおっちゃん!」
「いやまあ元はと言えば原因はこっちにあるって言うか……まあいいや」

 けたけた笑う少女と、げっそりやつれた自分。ある意味役得ではあったものの、露骨に顔にだす訳にもいかず。

「大丈夫かおっちゃん、そんな顔して」
「ああ、大丈夫だよ……仕事が忙しくてね」

 ましてや当人の前で言えるはずもなく。誤魔化すように別の話を口にする。自分にも、もちろんこの少女にもどうすることもできない、つまらない話。

「仕事? おっちゃんなにしてる人?」
「ただの営業だよ。立ち上げた企画が上手くいかなくてね」
「えいぎょう……きかく、ねぇ……?」

 初めて聞いたとばかりに首を傾げられた。見た目よりももう少
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