「お主は、儂が怖くないのか?」
そう、彼女は問うてきた。
口元を三日月の形に歪ませて、影のさす暗い目つきでこちらを見つめて。
「なんせ、今のお主は身ぐるみ一つないすっぴんの状態……生殺与奪の全てを儂に握られて、もう一ヶ月じゃったか?だというのに、余裕のある顔じゃの……」
影がさす目、というのは何も比喩ではない。
暗い目の中で金色の瞳が輝くのは、彼女の『種族』特有の物だ。
……背後で揺れるまんまるの尻尾や頭の上にある耳だって、そう。
「まこと面白いものじゃのぉ、人間とは……あぁ、それとも儂の迫力に声も出ぬだけか?」
『形部狸』。
それが、彼女を象徴する名前。
高い知能からなる巧みな話術で人を陥れ、逃げ道を封じ、自らの物としてしまう妖怪……
すなわち、人ならざる魔性の者。
僕はそんな彼女に狙われた。ただの人間がいかに足掻こうとも、その魔の手からは逃れられる事はなく。ただただ手のひらで踊らされ、気がついた時には自分の意思などお構いなしにこの部屋の中で彼女に生かされていた。
「良いのじゃぞ?帰りたいと叫び、泣き喚く……そんな姿を、儂に見せてもなぁ?ほれ、ほれ……」
にやりとした瞳は、変わらずに僕を射抜く。
口調も、立ち振る舞いも、綺麗な見た目とは裏腹に幾年も重ね老生しきったものだ。かろうじて成人している程度の僕が敵う道理など、あるはずもない。
それでも彼女の言うように、僕の顔が恐怖に歪む事は、ない。
だって、ねぇ……
こんな豪華なご馳走と高級そうなお酒がテーブルの上に並んでる状態で、そんな事言われましても。
「……むー。『のり』が悪いのぉ、旦那様。顔色一つ変えぬとは……」
そりゃまぁ、商売中の実家にいきなり現れて儂の言うことは全て聞けー、なんて言われた時はどうしたもんかと思っておりましたけども。経営者があなたになっただけで僕の両親今も変わらず商売してますし、むしろ店がリニューアルオープンして客がめっちゃ増えましたし。跡継ぎの従業員も用意してくれましたから、息子ってだけで嫌々仕事をする事になって一週間も経ってない僕の仕事がなくなったところで全然問題ないですし……
「じゃがのぉ。突然旦那様になってくれ、と言ってお主はこの部屋に閉じ込められたんじゃぞ?お主の意思なぞ、構わぬままに、金品も全て強奪して……こう、その事についての文句とか、あっても良いじゃろうに」
いや、日頃散歩とか行って外に出させてくれたりとかしてくれてるじゃないですか。といいますか別に鍵閉めてる訳じゃないですから出ようと思えば自由に外に出れますし。
それに奪うって、あなたが僕のお金を無駄遣いしないよう管理してくれてるだけでしょうに。
「まぁそうなんじゃが……はぁぁぁぁ、たまには旦那様が怖がったり驚いたりする顔見たかったのぉ……」
確かに、我ながら順応力高すぎじゃない?普通もっと嫌がったりするもんじゃない?と思ったりはする。
けど、こんな美人な人が旦那様って言いながらこの一ヶ月間割烹着でご飯用意してくれたり夜には素敵なお尻尾様を思う存分モフらせてくれたりしてたのだ。
とゆうか閉じ込められるといってもこの部屋、日当たり良いしテレビでっかいしゲーム機大体揃ってるし本棚のラインナップ週イチで新しくなるし……
むしろ、これでどうしてそんな顔をすると思ったんですかあなたは。
「たまには良いではないかー。儂はー、いつも表情が変わらない旦那様の怖がる顔を見てみたかったのじゃー……」
いやー、表情があんまり動かないのは生まれつきなのでこればっかりは……笑顔ならいくらかはマシだと思うんですが。
不満を垂れながら、狸さんはテーブルに頭をごっちん。きちんと茶碗は避けて、大惨事にはなってないけれど。
ぷくー、と頬を膨らませながらこっちを見つめるその姿は、さっきまでの威圧感が嘘のように子供っぽく見える。
……すごい人なのは間違いないんだけどなぁ。
「うー……できれば、これはもっと後にとっておきたかったんじゃが……仕方ないのう、これは」
しかし、まだ何か言いたい事があるのかブツブツ言いながら狸さんは起き上がる。
なんだろう、僕を怖がらせようと意地にでもなっているのだろうか。
こんな素敵な嫁に、怖がる事なんてないと思うんだけどなぁ。
「……旦那様、その素敵な嫁は幻術を使えるのを知っておるかの?」
はい、もちろんです。
狐七化け狸八化け、人を化かすのが狸の本領。そりゃあ狸の魔物である形部狸さんはそういうのが大得意だ。
かくゆう僕がこの部屋に連れてこられた時も、いきなり視界が真っ白になったかと思うと真っ暗になって、いきなり手を引っ張られて……みたいな感じで、その凄さを体感している。
とはいえ、あの時ぐらいしか幻術を使ってた事はない、はずだけど…
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