「最悪だ」
そんな言葉が、口をつく。
手元に置いたカクテルを流し込んでため息を一つ。
普段だったら既に酔いつぶれる程の量にもかかわらず、俺は未だに酔えずに居た。
「……悪い酒ね」
「自分の金で飲んでいるんだ。文句は無いだろ う」
「店の雰囲気にも配慮して欲しいものね」
「……悪かった。少し控えるよ」
やれやれ、と首を振るマスターの言葉に相槌を打ちつつ、手元の携帯電話を開く。
メールボックスのなかには、未読のメールがひとつ。
要件には一言だけ
『ごめん』
と書かれたのみのものだった。
「最悪だ」
俺は再び、その言葉を口にする。
マスターのため息がやけに大きく耳朶を叩いた。
−−−−
俺と、あいつとの付き合いは、学生時代にまでさかのぼる。
偶々その年度に演劇部に入った男が、俺とあいつの二人だけだったのが始まりだった。
女性だらけの中、唯一の男同士というコトで随分ペアにされて、大道具の運搬などの力仕事なんかはほぼ二人だけで作業をした。
「……なあ、俺、今度オーディション受けようかと思ってる」
「はは、じゃあライバルだなオレら」
「俺が受かったら、何か奢ってやるよ。脇役になったお前にな」
「む、なら脇役になったキミを……」
−−そして、同じ夢を追いかけていた。
プロの役者になって、銀幕に映りたい。そんな大それた夢。
全国レベルにも満たない、遊びみたいな部活、親を含めた周囲の人々に若干引かれていた中でも俺達は本気だった。
随分反対されたことまでもが一緒で、思わず二人で笑いあったりもした。
卒業してからは、劇団に所属してバイトと二束のわらじを履いた。家賃も足りないので二人で同じアパート暮らし。
飯も交替で作った。
特に俺が作る豚の生姜焼きはあいつに好評だった。事前に肉を蜂蜜につけてやわらかくするひと手間が大切な1品。
ちなみに、味の秘訣である蜂蜜については企業秘密だ。
「キミは、いい嫁になれるね」
「ぬかせ。最近のイケメンは料理も万能なんだよ」
狭い部屋の中には台本と原作に溢れて、床が悲鳴を上げるほど。
練習をすれば隣の部屋のヤツに壁をぶったたかれた。
ある時なんぞ俺が女役として声をつくったもんだから、「女連れ込んでんじゃねえ!」と叫び声すら聞こえたっけ。
男としては問題があるかもしれないけれど、演技派としてはある意味光栄なことだ。
そうして、二人で高めあって。
あるオーディションの最終選考に俺達ふたりはのこるほどになっていた。
主演とはいえないけれど、主演の友人役。テレビドラマのレギュラーである。
役作りのために、高校時代の制服を持ち出して学生ごっこなんてイタイ真似もしたかいがあったものだ。
ライバルとして、絶対に役を取る。
あいつが努力した分、俺だって努力した。
だから、どちらが選ばれても−−くいは残らない。
次の機会で、逆転だって出来る。
その、筈だった。
「−−おいっ!前見ろ−−ッ!?」
「う、うあああああっ!?」
どちらかが選ばれるあの日。
会場に向かう俺達に暴走した車が、突っ込んできたのだ。
逃げた犯罪者がパトカーと追いかけっこをして、歩道へ逃げようとした結果。
そんなことを当時の俺は知らない。
「−−よけ、ろっ!」
ただ、俺は思わずあいつをつきとばしていた。
視界一杯に映る、乗用車のボンネット。ガラス越しで叫ぶ男の姿。
轟音、顔面に感じる灼熱感と痛み。
−−後日、医者に見せられた鏡を見て、俺は役者になる道が絶たれた事を知った。
−−−−−
「ふう……」
部屋に戻って一息をつく。
ため息に混じった酒臭さに、思わず俺は目を細める。
あの後、さらに酔えないからとカクテルを飲んだ結果だ。
店を出る時のマスターの顔を思い出す。
出費も含め、もうしばらくあの店には寄れないだろう。
「あいつの、飯。作っておくか」
そんな言葉を呟いてから、自嘲気味に首を振る。
そんなもの、作る意味がないじゃないか。
あいつは、もうここに帰ってこないほうがいいのだから。
酔い覚ましになるかと顔を洗うために洗面所による。
何度かぱしゃぱしゃやると、顔に当たる水の感触がアルコールでほてった身体に心地良かった。
「……ち」
洗面所の鏡に映ったのは、表情の浮かばない仮面のような仏頂面。
いつもの、自分の姿だ。
形成外科の先生の頑張りで顔は殆ど元に戻った。唯一つ、その表情を除いて。
事故の後遺症で、顔の筋肉が麻痺してしまった。そう医師から伝えられた時も、そのかんばせはピクリとも動かせなかった。。
表情の作れない人間。
演技力が売りだったというのがこれでは、役者としては欠陥品に過ぎない。
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