狐継ぎ

「準備は、よいか」

厳かでありながらも確たる響きが、私に向けて問いかけられる。
その前に頭を垂れる私は、それに対してただ粛々と答えた。

「はい。神主様、どうぞその御心のままに」
「……良い返事だ。それでは、これより……『狐継ぎの儀』を、開始する」

はっ、と短い返事が後に続く。
私もそれに続くように頭を上げると、暗くなっていた視界に蝋燭の明かりがゆらゆらと揺れた。

長い歴史を思わせる、木製の床と壁。
それ以外に置かれているものは窓さえもない、まるで生活感のない空間だった。

しかし、私の鎮座するその床には、床を覆い尽くさんとする巨大な五芒星が描かれていた。
目の前にいる神主様の足元にも、大きさこそ座れる余裕がわずかにある程度だが、それ以外は全く変わらぬ紋様。
この五芒星こそが、ここで行われる儀式の要。

このジパングに仇なさんとする悪しき妖怪を封じる為に行われる儀……『狐継ぎの儀』の為に、幾代もの年月を経て準備されたもの。

私はこれからこの身に、神主様の封じていた狐を封じなければならない。
それこそが……私の使命なのだから。

数人の陰陽師に見守られた神主様が、祝詞を唱え始める。
最初こそ、葬儀に立ち会う坊主にも似た淡々としたものであったが……経を唱える神主様に、異変が生じた。

「ぐっ……うぬぅ……!!」

苦悶の声が、徐々に混じり始めたのだ。
蝋燭しかこの部屋には火元がないにも関わらず、玉のような汗を全身から放出させている。

……聞かされていた事ではあった。
この儀式には継ぐ者継がれる者両方に、負担がかかるものであると。

だが、実際にこうして、神主様が苦しむ姿を見ているのは……何とも、辛い。
今すぐにでも走り寄ってしまいたい気持ちはあった。
それをぐっと堪えて、私は陣の中央に座して待ち続ける。

まだか……まだ、なのか……!!

「う……ぬぉぉぉぉ!!」

拳をぎゅっと握りしめた時、それは起こった。

一際大きな神主様の叫びと共に、ずるりと胸から身体の中に何かが入り込む感覚。

『ほう?今度の”器”となる人間は貴様か……お手並み拝見といかせてもらおう』

そして、私の頭の中に悪しき物の怪の声が直接響きだした。
聞いているだけで、心の臓が抉られそうなその声。

その声に抗う為に、今度は私が祝詞を唱える番だ。
何度も読み返し、頭に記録した文言を唇から外に放出する。
同じ文言が記された文は目の前にあるが、それには目すらかけなかった。

ここで私が、封印に成功しなければ……私の心は狐に飲み込まれ、ただこの地を荒らし尽くす怪物と化すのだ。

『ふぅむ……若い割に歯ごたえのある人間だ。その強さ、並の力ではないな……成る程成る程、そういう事か』

全力を尽くして封印術をかけてもなお余裕を感じられる口調に、寒気が走る。
焦るな……!!予定通り、全ての文言を読み終えてしまえばこちらのものだ……!!

『主は……捨て子か。道理で、この家系の者では持ち得ぬ気の持ち主だと思っていたが……』

……やはり、そう簡単にはいかぬか。
狐は取り憑いた相手の記憶を読み、巧みな話術で自ら魔の者へと心を堕とすように誘導すると聞く。
耳を貸すな……これからの言葉は全て、まやかしの言葉に過ぎぬのだから……

『ほう、この地でも有力な名家に次男坊として生まれながら、口減らしの為に自らこの神道の家系へと下ったか……だがお主、自分の心の内に気付いてはおらんのか?主の家族は……お主を捨てられた事を喜んでおったぞ?』

文言を全て読み終えろ……そうしてしまえば、後はこちらの物だ……

『記憶の全てを見た我にはわかる。小さき頃より、お主は兄に勝てるものが何一つとしてなかったなぁ?文、武、そして話術……何もかもで劣る兄を見て、両親の目はお主に向けられなくなっていったろう?』

心を、強く持て……この狐が、私を利する事など万に一つもないのだから……

『もう忘れてしまったのか?お前が家を出る直前の、あの母の表情……手で顔を隠しても抑えきれぬ、お前がこの家へ二度と戻らん事を喜ぶ、あのにやついた表情を……なぁ、さぞかし憎かろう?我ならば……お前に、復讐できるだけの力を分け与えられるぞ……?』

っ……止め、るな……揺らぐな……私は……

『何もおめぇさんを取って食おうって訳じゃない。哀れな男に、ちょっと力を貸してやるだけさ……何なら、そこの神主様だけは食わないでいてあげてもいい。ほれ……主の想いを、口にしてしまえ……楽になれるぞ……』

私、は……!!



復讐など……望んでなるものか!!

『……ほう?』

あの時の母様の表情を、忘れたことなどない……!!
だが、寂しさなどはない!!
その分も……神主様が、愛情を注いでくださったのだから!!

『どうせそれも、主の力目
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