前編


「もう!!信じられない!!」

ありきたりな台詞を吐いて、スーツを着たいかにもOLといった女はバーから飛び出していった。
俺は、それをぼんやりと眺めながら、溜息を一つ吐く。
さっきまであの女と俺は一緒に飲んでいたわけだが、別にこの溜息は、また振られちまったか……などという悲しみを表すものではない。
どちらかと言えば、面倒くせぇなあの女、という嘆息であり、だからこそ俺はドラマなんかでよくあるシチュエーションの、去る女を走って追いかける、なんて馬鹿げた真似を実行しようとはせずにグラスにまだ残っていた酒を一人あおるだけであった。

「相変わらずだなお前は……また女性に振られたのか?」
「はっ。あんな女こっちから願い下げだっつーの」

そんな俺にかけられた声に、振り向くことなく答える。
声の主はやれやれ……と小さく漏らしながらも俺の隣に座った。
わざわざそれが誰であるかなど、確認するまでもない。

「俺が今まで何人も女抱いたことあるって知った瞬間ぎゃあぎゃあ騒ぎ立てやがったんだぞ。今時そんなの気にするとかいい年こいて夢見る乙女かよ、女なんて抱きたいから近寄るに決まってんだろうが」
「おいおい、その辺にしとけ。いくら光(ひかる)とは長い付き合いだと言っても、それ以上女性を侮辱すると流石に俺だって許せないぞ。あ、マスターいつもの」

振り向いて表情を見ると、腐れ縁のこいつ、加登 健人(かとう たけと)は許せない、と言った割に憎らしいほど爽やかな笑みを浮かべてマスターに注文をする。

「はいはい、わかったわかったわかりましたよー。さすが優等生の健人君はおっしゃることが違いますねぇ」
「全く……お前は女遊びの癖さえなきゃ良い奴なんだけどなぁ……女の方もどうしてこんな奴に寄ってくるんだか……」

両手を小さくあげて適当な降参のポーズを作ってやると、健人はやれやれ……と首を横に振った。

「そりゃあお前、日頃の行いがいいからだろ?」
「よく言うよ……」

俺がにやりと笑って返すと、健人は最早呆れて言葉も出ないという風にマスターからのグラスに手を伸ばしていた。
こいつがそんな風に言うのもまぁ、無理がないことだとは思う。

健人との付き合いは高校の時からに遡るわけだが、第一声は『彼女を泣かせたのはお前か?』という怒り混じりで、俺が二股かけていることにショックを受けて泣きながら俺と別れた女子というオプションを後ろにつけての登場だった。
クラスでは女遊びが趣味ということを隠して比較的人気者の部類に入っていた俺は、何のことだかわからない、と適当にあしらっていたのだが、クラスメイトというだけの女子の為にこいつはしつこく食い下がってきた。
廊下ですれ違う度に何か言われるのならまだしも、下校時間にわざわざ校門で待ち伏せしてきた時には流石に引いた。だが、クラスで築きあげてきたイメージを崩されるのも嫌だったので、笑って誤魔化し続けた。
それでも、そんな生活が一週間も続けば、誰でもブチギレてしまうだろう。

『いい加減キモいんだよ優等生気取りが!!暇さえあればべたべたしやがってホモかお前は!!』

帰り道の途中、誰もクラスメイトが周りにいないのを確認してから、思いっきり怒鳴ってやった。
最初は俺が突然暴言を吐いたことに驚いていたようだが、その後に思いっきり吹き出した。

『なんだよ、それがお前の素か?あぁ、やっと気持ち悪い笑顔を見ないで済んだ』
『あぁ!?わざわざあんなブスの為に一週間近く俺をストーキングしてた奴に言われたかねぇ!!』

……それから先は、俺や健人が何を言ったのかは、思うがままに罵詈雑言を吐き続けたせいかよく覚えていない。
ただわかるのは、付き合った女以外で産まれて初めて俺の素の感情を見せつけてやったのがこいつだということで、これまた産まれて初めてだった男との大喧嘩の後、俺の地の部分を見せてやったにも関わらず、親交がある唯一の男となった。

そんな男と俺が何の因果が同じ大学に進学し、卒業した今となってもお互いにすっかり馴染みとなったバーで一緒になって酒を飲むというのは、腐れ縁という奴だろう。

「……どうした?何をボーッとしている」
「……別に、ちょっと昔を思い出してただけだ。それよかお前、次出発するのはいつだ?」
「そうだな……明日の昼にはもう、空港を出ているだろうな」

質問に質問で返してやると、健人の返答は素っ気なかった。俺としても、こいつのスケジュールはいつも急だということはわかりきっているから今更動揺したりはしないのだが、それを普通の事のように言うこいつは大物だと思う。

「今日帰ってきたばっかだっつーのにそれかよ。相変わらず登山家ってやつは忙しそうだな」
「まぁ、急なスケジュールなのは認めるけどな。半分趣味みたいな仕事だし、辛くはないよ」
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