遺言〜花嫁人形〜


 遺言〜花嫁人形〜

 序 遺言

 ……古臭いエンジンの音を響かせながら、一台の車がかつてはなにがしかの街道と呼ばれたであろう古い山道を走る。運転席には初老の男がまさに運転手の帽子、とでもいうような帽子を目深にかぶりその車を運転していた。
 その車の後部座席にもまた、一人の男が座っている。少し線の細い、神経質そうな感じがする男は白い手袋をはめたままぺらぺらと小さな“手記”をめくっていた。時折古い車が跳ねると、不機嫌そうに顔をしかめつつも、口を堅く結んで熱心に手の中の記録を読み漁っていた。
 その手記は男の大叔母のものであった。さる月、男のもとに運転席の男が訪ねに来た際に、遺言状とともに手渡されたものであった。決して貧乏というわけではないが、大金持ちというほどではない男の一族とは違い、大叔母は商人として大成し、その資産は島一つ、街一つ買い取ってもなお余るほどであるという。
 当然、その大叔母の死後に親族は挙って蝗の如くその資産を食い漁ろうと集い、大叔母の望みには見向きもせずに、彼女に家族がいなかったことを良いことに好き勝手毟っていったのである。
 だが、男はそんな醜態の中に混じることはしなかった。大叔母の数少ない、縁のある人物だったからである。出会いはとある親族の婚姻の席であった。まだ幼い少年であった男は、大叔母の凛と成熟した女性の姿に惹かれ、青いながらも精一杯気取って声をかけたのである。そこで思いのほか、大叔母が気さくな人でもあったことで話が弾み、そこからは年上のよき理解者、また大叔母にとっては幼い弟のように可愛がられたのである。
 大叔母は聡明で、そしてとても優しい人物であった。その姿に男はますます惹かれたものであったが、大叔母は年の離れた、離れすぎた想いを受け入れることはしなかった。老いてなお、大叔母は美しかったが男が青年となる頃にはやはり“枯れた花”であることは否定できなかった。だが、男にとっては忘れえぬ“女性”であり、何より理解者としての大叔母の存在は男にとってとても大きいものであった。
 だからこそ、大叔母の資産を、想い出を守ろうと奔走したものだったが結局、大した法の知識も、守れるだけの根拠もなく親族を名乗る蝗どもにかつての大叔母の遺品も、かつて尋ねた大叔母の家や家財も何もかも持ち去られてしまっていた。そればかりか、親族たちの中で強硬に“資産の分配”に反対したためか大いに疎まれ僅かな“分け前”を最後に、男は親族の輪の中から外されることになったのである。
 男の仕事は親族の輪の中で回っていた部分が大きく、その結果男は仕事さえも失ってしまっていた。いま男が生活できているのは手切れ金となった“分け前”のおかげであったが、それすらも疎ましく思い、酒だけを飲み、ただ惰性に生きるだけという鬱屈とした日々を送っていたのである。
 そんな折であった、大叔母に仕えていたという老いた男が訪ねてきたのは。その手には男の知らない遺言状が携えられていた。

 男は車中で、大叔母の“最初”の遺言状を読み返す。そこには、いくつかの細々とした“資産の分け方”が記されていた。きめ細やかな美しい字によって、親族に対する相続の割合、自身の会社の行く末、持ち物の相続先などが丁寧に説明されている。だが、先のようにこの遺言状の通りにはならなかった。
 欲を出した親族が、ほとんど持って行ってしまっていた。会社も、当時の重役の一人に任せると記されていたが、今は親族のものとなってしまった。資産の一部は、寄付に回されるはずだったが、それすらも果たされていない。彼女のささやかな望みは、何一つ叶わなかった。ただ、ただそれだけが男にとって何よりも悔しかった。
 だが、そんな愚かしい親族の欲望を、大叔母は見抜いていたのだろうか。届けられた第二の遺言状の存在は男にとって驚くべきものであった。その遺言の宛名は、男であった。そこには、懐かしい丁寧な字で男の名とともにある内容が書かれていた。
 親族たちも知らない、秘匿された山奥の土地とそこに立つ一軒の館、そしてその周辺に広がる村々で行われている産業……主に医学、薬学と農業に関する……を男に相続させるというものであった。
 但し、条件が一つ。

 “この場で相続をするか否かを決め、行き先を誰にも言わないこと 荷物は最低限のものとし、行き先を知られるようなものは残さないこと 相続手続きと同時に貴方 有葉 東眞(ありば あずま)は行方不明として処理されることを受け入れること”



 壱 相続

 ……東眞は手記を読む手を止め、外を見る。先ほどまでの、木々の隙間にまばらに映った田園風景はなくなり、ただ深い山々と木々だけが流れていく。
 「もう、まもなくですよ」
 先ほどまで一言も喋らなかった運転手の口から、言葉が発せられる。そのことに
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