……ファンジェンとタオフーたちが雌雄を決した後、ティエンが仙石楼に帰り着いたのはそれから二日後の事であった。
深い霧に包まれた仙石楼は、変わることなく悠々とした佇まいであったが、ぽっかりと空いた門はようやく戻った主に待ちくたびれたようにも見えた。門の脇には、去った時そのまま……と思われた調味料の入った入れ物がきれいさっぱり、無くなっていた。だが、行く先はすぐに分かった。
「テケリー!」
奇妙な鳴き声が聞こえてすぐに霧の中からうっすらと、うにょんと蠢く粘性が複数の触手を振り回しながら駆け……るといっていいのかはわからないが、寄ってくる。
「ナオ殿!」
主の声を聴いてより喜びに打ち震えているのか、ぶるぶると触手が飛び散るように振り回され、そのままびにょんと主に飛びつく。その様は知らぬものが見れば人食いの怪物に他ならなかったであろう。実際は主に飛びつく大型の忠犬のようなものであったが。
「邪魔しないでくださる?」
けれど悲しいかな、この忠実な粘性の主の胸に飛びつくという儚い願いは叶うことなく、黒いふわふわとした剛腕が宙で叩き落とすことで潰えてしまった。
べにょりと名状しがたい音、そして悲鳴と共にティエンの眼前の床に染みが一つ出来上がる。
「……ヘイラン……その……あまりナオ殿に対し無体は」
「あら、ごめんなさいね……でも大丈夫よ ティエンさんに一撫でしてもらえばもとに戻るわ」
事実、うにうにと飛び散った破片は既に集まり元の形に戻りつつあった。恐らく、ティエンが撫でようと手を伸ばせばあっという間に元の形に戻りしゃぶりつくように、触手を絡めてくるだろうことは容易に想像できた。だが、残念ながらすでに片腕にはヘイランが、もう片方にはフオインが未だにぴったりとその身を寄せて絡みついていた。
ちなみに、フオインは服が焼けてしまったため、ファンジェンの門弟から奪った布をその身に巻いているだけである。ヘイランも服は着ていたが、野山をまっすぐ駈け下りてきたからであろう。所々破けており、服の体を成してはいなかったのである。当然、そんな彼女らが競うようにその身を寄せてきているのである。柔らかく、暖かい膨らみがこれでもかとティエンの肌に押し付けられてもいた。
「貴様ら……いい加減にしたらどうだ……」
そして、そんなヘイランとフオインに対し、タオフーは苛立ちを隠すことなく募らせていた。そうというのも、見ての通りがっちりと二体に両脇を固められてしまい、ティエンとは殆ど触れあえていなかったためである。何より、ファンジェンを完膚無きにまで下し、ティエンを取り戻したのは自分であるという自負がある分、よくこれまで我慢したと言えた。
だが、もはや今はそんなことは良い……そうとでもいうように虎の……獣たちの目が光り、ティエンを“縛る”腕に力がこもると……むっとするような甘い薫りが漂い始める。
そのままずいっと、タオフーがティエンの前に寄る。
霧よりも濃く、こもった熱がティエンを包む。
「……体が汚れてしまったな……」
「ええ……うふふ」
「汗、かいちまったよ」
甘く、ねっとりと絡みつくような獣欲に包まれ、ティエンは唾をのむ。
そう、ここに戻るまでの間、色々と体を密着させても“直接”触ってはこなかったことをティエンは疑問に思っていたが、その理由を今理解する。
ここは獣の巣
獣たちは待っていたに過ぎない……邪魔者がおらず、獲物をゆっくりと喰らい味わうのに最も適した場所に運ぶまで……
「ティエン……お前も少し汚れているな……」
そわりと、銀虎の爪が拳士の頬を、首を、胸板を撫でる。
「そうだな、兄ちゃん 少し匂うぞ」
すんと、子鼠が抱き着きながら、顔をうずめる。
「それじゃあ、身を清めましょうか 一緒に……そう、一緒に……」
しっとりと、耳を舌で舐めるように熊猫が囁く。
毒が回ったかのように、思考が鈍り、体が甘く痺れる。
不味いと思いつつも、ティエンは連れられるまま静かに獣たちに“咥えられる”。
その後ろを、寄り集まった粘性がうにょうにょとついていく。
白く湯気が漏れる仙石楼の中庭、そこに通じる戸をくぐる。
どうしてか、ティエンには見慣れたはずの仙石楼の温泉、その入り口が……大口を開けた獣の口に見えるようであった……
……湯気満ちる中庭、霧の冷たさと湯の温もりが相混じる奇妙な空間。
それは、欲望を剥き出しにしながらも大人しく伏せている獣のようでもあった。
そんな部屋の中で、冷えた風に混じって衣擦れが響く。鍛え抜かれた、拳士の肉体が獣たちの手で露わにされていく。その様子を、小さな粘性が狂喜するように見つめるも、白髪の獣に睨まれその手を縮める。
燃えるような、獣の瞳。それは
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