暗雲嵐天

 ……空が渦巻き、雷が轟く。
 山に潜む虫獣たちは来る嵐に備えるようにその身を隠し、じっと息をひそめていた。故に、常に獣の唸り声、虫の囁きが満ちる天崙山にしては静かな時が流れていたのである。
 だが、それは奇妙な緊張を孕んでいた。

 そう、まるで何かを恐れるように……


 一閃、雷雲が鳴く


 稲光に照らされた木々の間に、白金が煌めく。

 かつてそれは、恐れられたもの。

 そのものの祖を知るものはなく
 威となり立つもの総て屠り
 ただその恐ろしきを知る

 時を経て、楼に籠ってからの後、中腹より下には現れなくなった“山の王”の似姿。それが一陣の風の如く、木々の間を縫いながら下へ、下へと駈け廻っていく。幾年の月日が流れてもなお、その輝きは色褪せること無く恐れられているのだろう。その身を潜めたものたちは皆、その首を垂れるかの如く身を縮め、“嵐”が過ぎ去るのを待つ。

 かつて、それを前にしたものは皆地に伏した

 その白金に並び立つように、二つの影が同じく風を纏う。

 一つは燃え広がる炎の如く、霧を焼き払いながら

 一つは転がり落ちる岩の如く、全てをなぎ倒しながら

 そのものらは獣の王、この山に潜みし人外天魔の一角なる

 遥かなる天峰霊山、その伝説と共に語られる魔獣たちであった。
 目指すものはただ一つ、我らが牙の内から逃げ果せた獲物を今一度、喰らうため。人の写し身でありながら、獣のように……獣として地を這うように木々を駈け貫ける。休むことなく、ただひたすらに駈け続けていてもなお獣たちは疲れを見せなかった。それどころか、まるで力を取り戻していくかのように眼光は鋭く、肉体は隆起し、凄まじいまでの熱を持っていた。

 獣の目が動き、より強く、早くその肉体を脈動させる。
 釣りあがった口の端から白い息が漏れる。

 もう間もなく、その牙と爪が届くだろう。
 そしてその肉を喰らうのだ。


 今一度、天より雷鳴が轟く。
 ぽつりと、冷たい雫が……少しずつ空から落ちてきていた。






 ……深い木々に囲まれた、古い山道を紅の装束の一団が急ぐように下っていく。雷雲蠢く曇天より降り注ぐ雨粒は小さな氷のように固く、鋭く彼らの肌を打ちつけていた。だが、誰一人としてそれを苦に思うことなく、黙々とその足を動かしていた。
 急がねばならない。
 誰しもが、ただ一人を除いて皆そう思っていた。
 早く山を降り、この地を去らねばならない。ファンジェン率いる一団は殆ど休むことなく、歩みを続けていた。その甲斐もあり、もう暫く歩めば麓の町が見えるところまで差し掛かっていた。山道は険しい道ではなくなり、なだらかなものへと変わりつつあった。降りしきる雨と風、そして薄闇は厄介ではあったが、少なくとも彼らにとってそれは障害にはなりえなかった。唯一懸念があるとすれば、見通しの悪い山中の森の中にいるということぐらいであっただろう。
 「師兄、冷えますか?」
 「いや……問題はない」
 笠を被ったファンジェンが、そばを歩くティエンに声をかける。ティエンもまた、門弟より渡された笠を身に着けていた。薄靄の中に、ひっそりと麓に立ち並ぶ楼が見える。ほんの数日前まで、あの麓の街に調味料を買い付けに行ったばかりであった。
 (……思い出せば、買い付けた品を外に置きっぱなしにしておいてしまったな)
 それと同時に思い浮かぶは、仙石楼で過ごした日々であった。何時かは終わりが来るとわかっていたことであったが、その終わりがこのような形だとは……ティエンはそう思いたくはなかった。そして、それと同時にかつて己が師事し、そして去った師の事を思い出す。師は納得して送り出したものだと、ティエンは思っていた。だが、事実として数年前からティエンの行方を弟子たちに探させ、そしてこうして連れ戻そうとしていたというファンジェンの言葉の意味をティエンは考えていた。
 確かに、ファンジェンのいうように三師という名の重さは計り知れない。だが、ティエンの思う師は、たとえそうであったとしても次の弟子を取り育てるだろうとばかりに思っていた。
 (師に、何かあったのだろうか……だが、自分は……)

 ふと、思索の迷いが心を掠めた時であった。

 ちりりと、肌が焼ける



 ―ライフー!!―



 髄が覚えている、宿敵の気配。
 ティエンが目を見開いたその時であった、雷鳴轟くと同時に門弟が叫びを上げる。

 「門主へ!! 獣たちが!! 魔獣どもがこちらに!!」

 叫び、それに続くように木々が揺れる。それは風によるものではなく、へし折られ、砕かれる木々の悲鳴であった。
 それに並ぶように、赤炎の輝きが雨を焼き払いながら同じく木々を焼き、まっすぐこちらに向かってくる。
 その中心、最も静かなその流れの中に“
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