虎乱春来

 ……変異が起きて七日。
 何もわからぬまま、何も進まぬまま七回朝と夜が廻る。あちこちが修繕され、まだまだ痛んでいたものの少しばかり人が住む分には申し分なくなってきた仙石楼に朝日が当たる。その中の、変わることのない朝餉の時分。
 相変わらず、ティエンは文句ひとつなく生真面目な様子でタオフーたちの朝食を用意していた。
 ふわりとした柔らかな薫りを燻らせながら、朝食の雑炊が鍋の中で程よく煮えていた。天崙山でとれる雑穀と山菜を煮た質素なものだが、滋養に溢れ重くなりすぎない、適度な朝食という意味では最適な品物であった。
 「よっ! ティエン!」
 ぱたぱたとすばしっこくフオインが食堂に入り、ティエンに手を振る。その明るい顔つきはすっかりティエンに懐いた少女のようであり、今日の朝食を心待ちにしていたのであった。
 「おはようございます」
 そこから少し遅れて、ヘイランがゆっくりと食堂に入る。
 「おはようございます 今日もすみませんね、ティエンさん」
 「おはようございます、ヘイランさん どうぞ座ってください」
 いつものように、座っていく彼女たちを前にティエンはよそった粥を置いていく。七日もたてばお互いの定位置というものがある程度定まり、適度な距離感というものも出てくるものであった。そして、今日はその定位置にまだ収まっていないものが一人、いた。
 「……タオフーのやつはどうしたんだ?」
 最初に声を上げたのはフオインであった。別に待つ必要はないのだが、僅かな間とはいえ食事の時間は四人そろって食べるのが当たり前だっただけに、それが揃わないというのは妙な居心地の悪さがあった。それに加えて、フオインにも一応の仲間意識というものはあった。それを抜きにしても何かと礼儀だなんだと口うるさいタオフーを差し置いて先に食べるというのは遠慮したかったが、それ以上に腹が減っていたというのもあり目の前の粥が冷めてしまう前に匙をつけたいという気持ちの方が大きかったのである。
 「今日はまだ見てませんねえ」
 フオインほどではなかったが、ヘイランもまた食事は早く始めたかった。日がな一日何をするわけでもないが、楽しみには違いない食事をお預けされるというのはヘイランにとっても好ましくはないことである。ただ、ヘイランは別段タオフーの癇癪を気にするような性分ではなかったので我慢が切れれば勝手に食べ始めたであろうが、なんとなく真っ先に口をつけるというのははしたなく感じられ、手を付けずにいた。
 「……自分が様子を見てきます お二人は先に食べていてください」
 短い間とはいえ、今までにないことだけに少し不安を感じたティエンは様子を見に行くことに決める。
 ティエンの言葉を聞き、やったぜとばかりに匙を口に運び始めるフオイン。その様子をあきれた様子で眺めつつも、タオフーを待つのもバカらしいとばかりにヘイランも食べ始める。
 (一体どうしたのだろうか……?)
 その様子を見送りつつ、ティエンはタオフーの部屋へと向かうのであった。



 ……仙石楼の二階、その奥で虎の唸り声が響き渡る。
 低く、歯を食いしばるようなその声を聴こうものならば、大抵のものは恐怖に足をすくませるであろう、そんな音であった。それほどまでに、その声音は怒りと怨嗟に満ちたもののように響いていたが、それはタオフーの今の状態には当てはまらなかった。実際のところ、タオフーは寝床に蹲りながら恨めし気に虚空を睨みつけてはいたが、それはひとえに誰か氏らを恨んでのことではなく、己の体の異変に困惑してのことであった。

 「うっ……お、ぅっ! ぐぅぅ!」
 唸り声とともにびくん、とタオフーの腰が跳ねる。事の起こりは妙なまでの寝苦しさと火照りを深夜に感じ始めた時からであった。タオフーは当初、いつも通りの奇妙な火照りだろうと高をくくり再び目を閉じるも、それは治まるどころかより熱く、強く、衝動的なまでの“熱”となってタオフーを苛め始めていった。よもや、変異が解けようとしているのではとタオフーは期待したがそんなことはなく、ただ抑えようのない熱が際限なく燃え上がり続け朝となる頃には全身がじっとりと汗ばみ、腹の奥が特に熱く蠢くという今まで感じたことのない感覚に悶えることになってしまっていた。
 「うっ! うっ!」
 力は、入る。立とうと思えば、立てたであろう。しかし、何か情動的な何かに思考を支配され、焼けつくような疼きに全身が侵されているという未知の感覚にタオフーはすっかり混乱し、ただその顔をぐしゃぐしゃに涙と涎で汚しながら寝床で蹲るしかなかったのである。
 「はあっ! はぁぁ……ううっ!」
 きゅるる、と聞き慣れぬ音が下腹部から響き、ひどく熱の籠った“何か”が股を濡らす。それが汗とは違う何かであることは、粘る感触と燃え立ち燻ぶるような
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