――――――里
時刻は夕刻。既に日は傾き、空は朱に染まっていた。里の人間たちもそれぞれの家へと帰り、夕食の準備を始めている。
そんな大通りを「一つ」の影が歩いてゆく。
「夕焼〜け小焼け〜の〜、赤と〜ん〜ぼ〜♪」
「・・・ふふっ。」
始めて里に来れた事と、父親に色々買って貰い癒雨は上機嫌に風車を右手で持ちながら父親の頭上で歌を唄う。そんな癒雨を微笑ましそうに肩車をする奇縁。
「追われ〜て見たの〜は〜、いつの〜日〜・・・あれ?」
「ん?どうした?」
「・・・・・・。」
突然、唄うのを止めて黙り込む癒雨。そんな娘に少し心配になった奇縁は娘を肩から下ろし抱っこをする。それに気付かないほど集中しているのか、癒雨は大通りのとある一点を見つめていた。
そこは奇縁と深雨が出会ったあの柳の木。
「・・・怖いのか?なら、少し遠回りをして」
「お父さん、あそこに何か居ますよ?」
「ん?」
娘が風車を持っていない手で指差す方向を見ると、そこには確かに「何か」が居た。奇縁も気になり「それ」に近付くと、「それ」は頭を押さえながら小さく蹲って震えている黒いネコマタであった。ネコマタ・・・と言っても猫の形をしていない。つまり、「人の姿で震えていた」のである。
「・・・癒雨、一旦降りなさい。」
「・・・はい。」
奇縁は真剣な顔で癒雨を降ろすと、徐にネコマタに近付いた。
「そこなネコマタ。」
「・・・ひぃっ!?」
落ち着いた奇縁の声に対し、ネコマタは後ろから話し掛けられた所為なのか、尻尾の毛は全て逆立ちその黒い毛並みの小さな体が跳ねるほど驚いた。
「・・・な、ななななな・・・何?・・・!!」
怯えた様子で奇縁を見上げる。その顔は癒雨と同じ位の年頃であろうか。まだ幼さの強い顔をしている。しかし頬や額は赤く腫れていた。ネコマタは奇縁の姿を見るなり表情を恐怖一色にして狂ったように泣きながら捲くし立て始めた。
「い、いやぁあああっ!ころさんでえええ!うら、なにもしてへん!!なにもしてへんからぁああああ!!」
「お、おい・・・。」
「ぼうでなぐられんのもあしでけられんのもいやや!!もう、かんにんしてぇえええええ!!」
泣いているネコマタのその目には光が無かった。いや、消えたばかりなのだろう。ほんの少しだけ、目の奥に淡く、今にも消え入りそうな光が見えた。
奇縁にはその目に見覚えがあった。形は違えど奇縁にとってほんの数年前までの自分が、目の前に居た。
「ほら、おいで・・・。」
「いやあああああああ!こんといてえええええ!」
「・・・っ!」
突然、差し出した奇縁の手に痛みが走った。何かをされると思ったネコマタが爪で引っ掻いたのだ。
傷口から血が垂れ、地に落ちる。
「お父さんっ!」
「大丈夫だ癒雨、下がってなさい。」
「は、はい・・・。」
心配した癒雨が父親に駆け寄ろうとするも、その父親に止められる。癒雨はどうすればいいのか分からず、その場で立ち尽くした。
「・・・・・・。」
「いやっ、やめてええええ!!いたいのもこわいのもやめてぇええええええええええ!!」
「・・・・・・!!」
奇縁が優しく抱き上げてやるも、ネコマタは尚も逃れようと暴れる。腕や胸が鋭い爪で引っ掻かれて服が破れ、血だらけになる。それでも奇縁は我が子の様に優しくネコマタを抱きしめた。
「・・・もう、大丈夫だ。」
「ふえ?」
痛みを堪えながらの奇縁の言葉が予想外だったのか、ネコマタは動きを止めた。幼く小さなネコマタの体を優しく、しかし先程よりも確りと抱き寄せる。
「・・・もう、大丈夫だ・・・!」
「・・・?」
不意に、ネコマタの耳に何かが落ちてきた。その正体を確かめようと抱き上げてきた男性を見上げると、泣いていた。
「ごめんな・・・。」
「へ?」
「辛かったよなぁ・・・!痛かったよなぁ・・・!恐かったよなぁ・・・!」
奇縁は涙を流しながら、胸の中に居る小さな「自分」にそう言った。無論、胸の中に居るのが幼い頃の「自分」ではないことは奇縁も良く分かっていた。しかしこのネコマタを見ていると何故か昔の自分と同じだと、そう思ってしまう。
「なんで、ないてるん・・・?うら、ねこまたやで・・・?くろねこなんやで・・・?」
「ここが、魔物に厳しいのは俺の所為なんだよなぁ・・・!ごめんなぁ・・・!」
「・・・?」
ネコマタは何を言っているのか分からない、と言った表情で奇縁を見つめる。しかし、自分のために泣いてくれているという事実がネコマタの胸を暖かいもので包んだ。
「ふゃ・・・。」
「ごめんなぁ・・・!」
「ふゃああああああああん!」
山に住む奇妙な退魔師の謝る声と、独りだったネコマタの泣き声があの時と同じ、人通りの無い夕暮れの大通りに小さく響いた。
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