東雲に 荒ぶ風吹く 野は錦
秋待たずして 葛の花は咲く
――――――
「ハァ…ハァ…!」
暗い。
「ハァ…!?ハァ…!?」
暗い、恐い。
おとうは?おかあは?暗い。恐い。
「ハァ…!」
走っても走っても終わりが見えない。
おとうが連れてきてくれた森。入った時はあんなに綺麗に見えたのに。今は暗くて恐い。
「!」
森が終わってる。よかった、これで帰れ…。
「!?」
森の終わりに目の前に広がったのは、恋しい家ではなく冷たい風が吹く崖。
「ハァ…ハァ…コプッ!」
突然の吐き気と共に、体から一気に力が抜けてその場に倒れた。
「…………………。」
目が霞む…。走っている途中に感じていた痛みは、もう感じない。
視界が白む…。
――――――
「…また、随分昔の夢を見たな…。」
まだ陽も満足に射さない朝方。此処御門神社の巫御門 高恒(みかど たかつね)は晩秋の風を受けながら布団からゆっくりと身を起こした。
「…っと、いかんいかん。早く支度しないと…。」
高恒は急ぐように立ち上がると、襦袢を着直して布団を片付け始めた。馴れた手つきで布団を畳み、押入れに仕舞う。
「さて…。葛葉様はもう起きていらっしゃるだろうか…。」
綴を開き、中から巫服を取り出して着替えながら、高恒はこの神社に鎮座する稲荷神であり高恒の主人である御門 葛葉(みかど くずは)の事を気に掛けていた。葛葉を起こして朝早くから来る参拝客に対応する、それが高恒の朝の習慣だった。
高恒は着替えを終えると、直ぐに社の奥にある葛葉の部屋へと向かった。
「…葛葉様、お早う御座います。起きていらっしゃいますか?」
襖を軽く叩きながら葛葉が起きているか確認する。返事は…ない。未だ眠っているか、もしくは…。
「失礼致します。」
高恒はゆっくり戸を開け、中を確認する。しかし、葛葉の姿はなく、空の布団だけが残されていた。
「やっぱり…。本当にあの御方は…。」
高恒は溜め息を吐くと、いつの間にか開け放たれていた縁側への襖に足を向けた。
縁側に出、辺りを見回すも葛葉の姿はない。
高恒は焦る様子すら見せずに縁側から外へ出た。
「おや、日和丸ではないか。」
不意に上から声を掛けられて高恒が上を見上げると、一人の女性が瓦葺きの屋根の上で瓢箪を片手に御猪口で酒を煽っていた。そう、この金色の髪を腰辺りまで伸ばし、それと同じ色の四尾をご機嫌そうに振り、乱れた襦袢から覗く肩口やたわわに実った乳房を隠す事なく、寧ろ威風堂々と晒す麗人こそ、御門葛葉である。
「…葛葉様、いい加減私を幼名でお呼びになるのは止めて下さい。それに、その様な場所で霰もない姿をなさっておいでですと、またカラステングの板屋に有る事無い事を書かれてしまいますよ。」
「ふん、半人前風情が何を言う。自分の所有物を何と呼ぼうと、我の勝手であろう。」
「…………ハァ。」
さも当然のようにそう言い放つ葛葉を見て、高恒は諦めたように溜め息を吐いた。
「して、今カラステングが有る事無い事我の事を書くと申しておったな。」
「え?あ、はい。」
「良いではないか。」
「…はい?」
葛葉が発した信じ難い一言に、高恒は耳を疑った。
「今、何と…?」
「『良いではないか』と、そう言うたのじゃ。良くも悪くも噂になれば参拝する者も増える。良い循環ではないか。」
「…葛葉様が良くとも、私が貴女様を悪く書かれるのは嫌です。」
不貞腐れたかのような高恒の言葉に、葛葉は一瞬目を見開いて固まった。
「世話になっている身としては当然の事でしょう。私にとって、貴女様は母に等しい御方なんですから。」
しかし高恒の言葉を聞いた途端、つまらなさそうな顔をして御猪口に残っていた酒を一気に呑み干した。
そして、屋根からひらりと跳び降りると、高恒の隣に綺麗に着地する。
「…興が逸れた。日和丸、衣の用意を。」
「うわっ!?」
瓢箪を高恒に投げ渡し、葛葉は社の中へと入っていった。
「何をしておる。早うせぬと参拝者が来てしまうぞ。」
「…はい、只今。」
高恒は本日三度目の溜め息を肺から吐き出し、葛葉の後に続いて社の中へと戻っていった。
――――――
「葛之葉稲荷様、この度は我等が村に豊作の御祈祷を頂き誠にありがとうございました。御陰様で今年も皆領主に税を納め、冬を越す事が出来ます。」
「うむ。…して、用とはなんじゃ?」
「はい。畏れながら今年の御礼と、来年の豊作祈願とを御願いしに参りました次第で御座います。少ないとは存じ上げておりますが、これが我々の精一杯。何卒御慈悲の程を…。」
そう言いながら、村長らしき老人は俵に入った米を二俵差し出した。
「良かろう。貴殿の村の来年の豊作も、この葛之葉稲荷神が約束
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