アパートの最上階、その隅っこのベランダにて。
無地のシャツと黒いゴムパンツに身を包んだ男性が煙草を吹かしていた。
「…………ふぅ」
まるでため息のように、紫煙が月の欠けた夜空へ漂う。
彼の名は毬原 修平。俗にいうサラリーマンというヤツで、小さなガス会社に勤めている。
営業セールストークに、今日は一件修理まで入りこんで少し疲れているらしい。
飲める所とバッティングセンターがあれば世は事もなし、とまでは割り切れない。
クラクションの響く夜景は、捉えようによってはムーディかもしれない。
だが、疲労感をひきずる修平の身としては、やや眠たく映った。
「……あした休みかぁ」
休み、と聞いてもあまり嬉しいものでもない。
文字通り何もやることがない休日など、連なれば苦痛以外の何物でもないからだ。
「……今日はもう寝よ」
室外機の上に置いていた灰皿で煙草の火を消し、修平は自室に戻る。
そしてベッドにもぞもぞと潜りこみ、カチッと電気を消す。
フッと電気が消えて、窓からはうっすらと月明かりが差し込む。
瞼を閉じた修平は、ゆっくりとまどろんでいった……。
カチッ
電気がつく。
「なに勝手に電気消してるんですか、アホですか」
缶チューハイを片手に、心底呆れたようなため息を零す男性。
ベッドを見下ろし、彼は修平にやれやれと肩をすくめる。
「いや僕もう寝たいんだけど……」
「夜はこれからですよ。明けない夜はここにあったんです」
「お前なんでそんなにテンション高いの……」
寝惚け眼をぐしぐしと擦り、修平は仕方なくベッドから体を起こす。
グッと背をそらして大きな欠伸をおさえ、頬杖をついて男に向き直る。
「だいたいなんで僕の部屋で飲むのさ、チアキ」
「そりゃシューさんとこなら美味いおつまみ出ますしげふんげふん」
「その咳払いはかなり手遅れだと思うよ……はぁ」
チアキと呼ばれた男性、平坂 千秋の雑な誤魔化しに修平は頭をガシガシと掻き乱す。
千秋は彼の仕事の同僚であり、アパートのお隣さんでもある。
とぼけた性格のくせに世渡り上手で、修平にとっては頼れる友人なのだが……。
「毎度毎度、お肴たかるために来ないでよ……」
「砂肝のスモークめっちゃ美味いです」
「ははは人の話聞いてないよこいつ」
ふらっと家に来たかと思えばこれである。親しき中にも礼儀あり。
「まぁまぁ、シューさんの分もアルコール持ってきてますから。茘枝酒の水割ですよね?」
「……薄めにね。僕弱いから」
酒瓶を取り出した千秋に、修平は仕方なく彼の対面に腰を下ろす。
千秋は手際よくお酒を作り、修平は爪楊枝で砂肝を一つ口に放りこんだ。
「で、何かあったの?」
「黙って相談に乗ってくれるシューさんマジツンデレ」
「……いらっ★」
口で言っちゃうあざとさである。
冗談ですとへらへら笑いながらコップを差しだす千秋。
修平はそれを受けとりながら、小さくため息を吐いた。
大抵、こうやって意味不明に千秋が乗り込んでくるときは決まって相談ごとである。
もっとも大概が下らない内容だけに、ただの愚痴り合いになることが多いが。
「いやー、最近ちょっと困った友達がいましてね?」
「ふんふん」
「仮にその人をSさんと名付けます」
「うまうま」
「ちなみに27歳独身」
「それ僕のことでしょ?」
「ときどき裏工作して女性を差し向けても彼女ができません」
「最近やたら先輩に合コンに誘われるのはお前のせいか」
「どうすればいいですか?」
「おっちね」
真面目な相談ではないことに、修平はペッと唾を吐く真似をする。
人付き合いがいいためよくモテる千秋に言われると嫌味にしか聞こえない。
余計なお世話である。
「いいの、僕は独身貴族つらぬくから」
「などとS氏は供述しており、如何わしいゲームに勤しむことを正当化しています」
「如何わしいゲームなんかやってないよ!?」
素っ頓狂な声を出す辺りが怪しいが、生憎と千秋はそれが本当だと知っている。
かつて修平が愚痴ったことなのだが、彼は女性が苦手なのだそうだ。
「なんでしたっけ? 確か中学生の時のがトラウマなんですっけ?」
「……あまりこの話題ほじくらないで欲しいんだけどなぁ」
彼の愚痴とは単純なものだ。
なんでも給食当番で食器を配る際に、目の前でぼそりと悪口を呟かれたとか。
曰く「気持ち悪い」と。
特に何らかの落ち度があったわけでもない修平は、その意味不明ながらも生々しい悪意に女子がトラウマになったのである。決して実体験ではない。決して実体験ではない。
「中学生って刺々しい時期なんですから、今とは違いますって」
「いや、頭では分かっててもやっぱ苦手なものは苦手だし……」
「仮に気持ち悪いって思っててもわざわざ口に出すほど子供じゃない
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