とあるアルケミストと樹精

雲のように広がる広葉樹の葉から漏れる日光が、微かに黴臭い獣道を薄らと照らしている。
雨季の終わりは突然に訪れ、森は本来の姿に戻りつつある。
私はこの辛気臭い空気を払おうと煙草に火を点す。
私はこの森が嫌いで仕方無かった。
しかしながらもう長い事この森の中に住まい続けている。
森は檻だ。
人の元へと戻れぬ私を捕え続ける。
未だに悔やまれる。
いや、終わった話を掘り起こすのは止めよう。
私は樹肌に手を当てる。
いい湿り具合だ。
これならば面白い試料の一つや二つ、見つかってもおかしくは無い。
人の世界とは隔絶された森の中。
探し出そうと思えばあらゆるモノを腸の底まで探りつくせる。
私は身体を森に閉じ込められて初めて、探求の自由を得たのだ。
私は歩きなれた森の中で異変を求めてさまよい始める。
異変こそは発見の第一歩。
長いこの森での暮らしの中で得た一つの経験則だ。
その時、ふと耳に微かな異音が混じる。
森を抜ける風の音、さえずる鳥の鳴き声、風に揺れ身体を擦り合わせる樹木の声。
そのどれとも違う異質な音。

――くすん……くす………うぅ

久しく聞かぬ人の声。
馬鹿な、この様な奥地に人が来るなど…。
私は歩みを止めて声の方向を見定める。

「こっちか…」

踵を返し歩き始める。

「……ドリアード…か」

珍しいモノを見つけた。
新緑色の豊かな髪を揺らし微かに震える人の形をした、似て非なるもの。
その細い脚は傍らにそびえる大樹と深く結び付き、枝の一部がソレを慰める様に細い髪を撫でていた。

「…なぜ、泣いている」

ソレはこちらをちらりと見ると、涙を溜めた泉色の瞳をはたと逸らす。
その視線の先には大きく変形した樹肌があった。

「…クラウンゴールか」

私が幹部に触れじっくりと観察していると、ソレは私の傍らにきて、何かを訴えるように見つめてきた。

「お前の宿主に侵入したアグロバクテリウムがお前の宿主を侵食しているのだ」

ソレの眉が心配そうに屈曲する。

「安心しろ。樹皮細胞の一部が遺伝子を改変され腫瘍を形成しているだけだ。幹部を取り除けば侵食は止まる」

私の言葉を聞くとソレは嬉しそうに瞳を輝かせ、私に抱きついてきた。

「やめてくれ。お前たちの生態は知っている。囚われるのはもう十分だ。治療はしてやるがそれだけだ」

私はソレを引き離すと、切出用のメスを取り出し、幹部をなぞる様に切り取っていく。
これには大金を叩いた。
刀身に埋められた魔石の力であらゆるモノをバターのように切る事が出来る。

「終わったぞ。この薬を傷口に塗っておいてやれ。植物細胞の修復を促進し、菌の侵入を防止する」

無駄な時間を使ってしまった。
年に一度しかない雨季だ。
この時期に活発になる生物の中には普段は見られない珍しいものが数多くある。
私は試料を求め再び森の中を彷徨い始めた。

住処に帰ったのは樹木の隙間から星が覗き始める頃だった。
私は鞄を降ろすと保存容器のいくつかを保管器に納め、手元に残した一つを持ってラボに入った。
中身は普段地中の奥深くにいるワームの一種だ。
こいつは体内の特殊な酵素により土壌の炭素を特殊な繊維に加工して巣をつくる。
この繊維は鉄の何倍も軽く、何倍も強く硬い。
私は容器から一匹を取り出し解剖用のメスでワームの身体を切り開き、内臓の一部を摘出した。
この臓器は他のワームにはないもので、この器官で繊維を合成する酵素を製造していると私は踏んでいる。
私はこうした生物を研究し、そこから得た技術の一部を用いて闇のルートを通じて金を得て研究を続けていた。
この繊維は武具への応用が幅広く、本来は巣を掘り起こし、一つ一つ紡ぎ出すしかないが、この酵素を培養できれば他の生物に遺伝子導入して形質転換することで安価で大量の繊維を作る事が出来る。
そうすればまた数十年分の研究費用にはなるだろう。

数時間ほどミミズを弄り回した私は一服しようとラボを出た。
しかし、リビングに入った私は足を止めて1秒ほど固まった。

「……なんだ…これは」

リビングの床から大樹が突き出して屋根に穴をあけている。

落ち着け。素数を数えるんだ。
1.2.3.5.7.11.13.17.19.23.29.31.37.41.43.47.53.59.61.6なn…。

「…しまった。1は素数に含まれないではないか」

いや、まて。今考えるべきは目の前の事象だ。
何故リビングの床から木が生えている。
初めから生えていたのか。
いや、流石にそれは無い。
ではこの数時間で芽から成長したか…。
どんな成長速度だ。ありえない。
魔導師が忍び込んでいたずらを…。
どんな暇人だ。
残るは…。

「…お前の仕業か」

大樹の陰からひょっこりと姿を現したのは昼間のドリアードであった。

「お礼、したい」
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