流天雪夜






あれから幾年かの時が過ぎた。


縁側に掛けられた、建て付けの悪い硝子窓が、カタカタと音を成す。
私は火の落ちかけた火鉢に炭を入れ、ふぅふぅと息を吹く。
やがて炭はパチパチと、産声を上げて輝き始める。
私は再び愛読書に目を戻すと、読みかけの文字列を探して、目を走らせる。
パチパチ、カタカタと、鳴り出す音はそれらだけ。
無音の苦しさを、彼らはその不規則な協和音で幾分か紛らわせてくれる。
夏になれば、これ位の時間の頃には、近所の子らの遊ぶ声が聞こえる。
日に日に減っていく残りの頁(ページ)は、溶け逝く積雪に似て、少しばかり寂しく感じる。
行く行く孤独に向かう主人公の心境は、私のそれにも似て、少しばかり悲しく感じる。
とうとう読み終えた本を、丁寧に閉じ本棚に並べる頃には、蝋燭が必要なほど部屋は暗く沈んでいた。
そんな中、赤々と小さく燃える火鉢の火は、私の中の彼女に見える。
私は蝋燭に火を燈し、それを持って縁側を渡る。
先祖代々続く屋敷は、ところどころ手直ししつつも、古く静かで、ただ広く、今では人けの無い座敷などは、どこか虚しい。
その癖にここは、隙間風ばかりをよく通し、火を入れねばそこの寒さは外のそれだ。
炊事場は暗く沈み、竈(かまど)の上にある格子戸から漏れる光が、微かに石の地面を明るくしていた。
三月(みつき)も前の今頃ならば、女中の妙さんがよく透る声で「もうすぐお食事が上がりますよ」と出迎えてくれたのだろう。
彼女が大きくなったお腹を抱え、里に帰ったのは初雪の降る前だっただろうか。
婿は彼女に似合わず、大人しそうな青年だった。
私は釜に残った冷や飯を掬い、長年使い続けている碗によそう。
膳に冷や飯と少しの漬物を乗せ、私は部屋へ戻ろうとそれを持つ。
“トントン”
そんな処へ玄関の戸を叩く音が聞こえた。
私は持っていた膳を置き、玄関へと向かう。
引っ越した時に新しく入れた、曇り硝子の玄関戸は、ぼんやりと小柄な影を映し出している。
私の許を訪ねてくる者など、片手を折るほどに少ないはずだ。
玄関の戸を引くと、そこには見知った鴉の娘が立っていた。
「夜分遅くなりました。お手紙をお届けに参りました」
彼女は雪傘に蓑を着て、いかにも寒そうにしながら、一通の手紙を翼で持って、差し出した。
「お仕事ご苦労様です。雪はどれ程降りそうですか」
私は手紙を受け取り、そう尋ねる。
「この分ですと、また一積りしそうですね。…と言っても、これが最後の雪になりましょう」
彼女は傘を上げ、空を見上げてそう答えた。
その白い頬は寒さのせいか、赤く色づいている。
「そうですか。少し名残惜しくも思いますね」
「ははは。そう言わないでくださいよ。私等からしてみれば、雪が降れば商売あがったりですよ」
「そうでしたね。これは失礼しました。御代の方は幾等でしょうか?」
「御代は送り主のお兄さんから預かってますよ」
そう言いながら彼女は一度鼻をすすった。
「じゃ、私はこれから帰って温まるとします」
「はい。どうもありがとうございました」
「まいど。今後とも“黒鴉飛脚”を御贔屓に」
明るい声で鴉が去ると、私は戸を閉めて文を見る。
宛名の文字は見慣れたものだった。


夕食を済ませ、部屋に戻ると、私は早速文を開けてみる。
差出人は街に暮らす弟だ。
内容は私の身体を気遣うものと、『彼女の事で塞ぎ込むのはそろそろやめろ』、という毎回のものだった。
身体の弱い彼女が、出産に耐える事が出来ないまま、腹の子と共に亡くなったのはどれ程前のことだったのか。
この屋敷へは彼女の出産の為の休養で戻った。それまで私たちは街の店を、私と彼女と弟、それから店に奉公しに来ていた何人かの人たちで回していた。
しかし、彼女が腹の子と共に亡くなって以来、私は街の店を全て弟に任せて、先祖代々のこの屋敷に隠居した。
まだ二十とそこそこでの隠居を周りは酷く咎めたが、私にはとても店を商っていけるだけの気力は残って無かったのだ。
私は文を畳み、棚の引き出しにしまうと、お気に入りの揺り椅子に腰かけ、目を閉じる。
ぎぃぎぃと椅子が揺れ、板の間の床が軋む様な音が鳴る。
読み終えた小説の内容を振り返り、言葉を噛みしめる。
恥の多い生涯。
私の最大の恥と言うならば、彼女への想いを捨てきれないでいる事か。
それとも、
あの時、「子が出来た」と喜んだ彼女と共に喜んだ自分を恨み。
あろうことか彼女と共に、顔も見ぬまま命を落とした我が子さえも恨んだ。
そんな愚かな自分だろうか。
はたまた、それらを言い訳として、このような処に籠っている事だろうか。
亡霊と言うものがあるとするならば、それはきっと私の様な者を指すのだろう。

カタカタという窓の鳴る音で、目を覚ます。
火鉢はまだパチパチとよく燃えていた。
私が眠りに落ちていたのは、ほ
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